17年ぶりのウリハッキョ③「住所とギョウザ」
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大森区馬込町東四ノ三〇
大森区馬込町東四ノ三〇
二度でも三度でも
腕章をはめたおとなに答えた
迷子のおれ ちっちゃなつぶ
夕日が消えるすこし前に
坂の下からななめに
リイ君がのぼってきた
おれは上から降りて行った
ほそい目で はずかしそうに笑うから
おれはリイ君が好きだった
リイ君はおれが好きだったか
夕日が消えたたそがれのなかで
おれたちは風や帆前船や
雪のふらない南洋のはなしした
そしたらみんなが走ってきて
綿あめのように集まって
飛行機みたいにみんな叫んだ
くさい くさい 朝鮮 くさい
おれすぐリイ君から離れて
口ぱくぱくさせて叫ぶふりした
くさい くさい 朝鮮 くさい
今それを思いだすたびに
おれは一皿五十円の
よなかのギョウザ屋に駈けこんで
なるたけいっぱいニンニク詰めてもらって
たべちまうんだ
二皿でも三皿でも
二皿でも三皿でも!
岩田宏さんが書いた「住所とギョウザ」という詩は、茨木のり子さんの「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書、1979年初版)を通じて知った。この詩に親近感がわいたのは、馬込が近所、というそれだけではない。
今春、近所の朝鮮学校に入学した息子は、帰宅後に宿題をしたり、おやつを食べた後は、近くの児童館や公園で遊ぶ。そこにはこの春まで4年も一緒に過ごした保育園時代の友達がいるからだ。保育園の子どもの大半は地元の公立学校に通う。学校に上がると、なかなか会えないので、互いの家を行き来したり、夏休みにはみんなでアスレチックに遊びに行ったりもして成長を楽しんだりもした。5月のある日に広い公園に連れていってくれたK君のお父さんは、息子がハッキョで習ったウリマルを教えると、「朝鮮語を習って韓国旅行に行きたいなぁ」なんてことを言って息子を喜ばせてもくれた。
近所の子どもと遊んでいた息子の会話が耳に入ってきたことがある。「どこの学校?」との質問に「朝鮮学校。オレ朝鮮人だから」。堂々と答える姿は文句なしに嬉しかった。
けれど、数ヶ月後は「オレ、○○小」と通ってもない日本の学校の名前を言っていた。
明らかに使い分けている。(説明が面倒くさいのか!)と突っ込みそうになったが、やめた。
ある日は、ハッキョのクラスメートが日本の女の子に告白されたことを家で話していたこともあった。クラスメートは、女の子の告白に「オレ、朝鮮人だけど…」と答えたという。(早熟だなぁ)と驚いていた私は、この返事に二度ビックリした。
7歳の世界…。
幼い彼らも、何かしらの「生きがたさ」を感じているのだろうか。
冒頭の「住所とギョウザ」は植民地時代を描いた詩。日本人のおれとリイ君の温かい日常を描いた詩は、悲しい余韻を残している。
日本の子どもも朝鮮の子どもも、民族の違いを越えてありのままの姿を受け入れながら成長してほしい。7歳の世界と岩田宏の詩に触れながら、私たちが異郷に暮らすことになった歴史が頭をよぎった。(瑛)
臭いのは事実
キムチなど、韓国料理がにんにくを多用し、日本人の観点からすると匂いが強いというのは事実。
子供の頃はその旨さがわからなかったが、今は大好きです。
朝鮮人に限らず、小学校の頃は「臭い」とか言っていじめられていた子はたくさんいました。
うちの息子は日朝ハーフが誇らしいみたいだけど
アイデンティティーって、社会によっては概念自体が特に無かったりするかも、とたまに思います。