美術科学生時代の作品たち
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先日、アトリエの大掃除をしました。
実家にいたころ、アトリエとして使っていた部屋があったのですが、
その場所がなくなるということで、置きっぱなしになっていた私の荷物も片づけることになりました。
学生のころ、油絵を専攻していた私、卒業をしても描きつづけてはいたのですが、
やはり東京にでて仕事をすると、そんなスペースも時間も。。。
とは言い訳ですが、描かなくなりました。
久しぶりのアトリエに行ってみると、懐かしい絵たちがでてくるのなんの。
学生のころは一生懸命描いて、ヨシッ!!と思った作品たちも、
いま見るととても拙く、こんなもんだったけと思い、赤面したくなる作品も少なくありません。
それでも、(おお~いまでも素材でなにか使えそう!)というものや、
思い入れのある作品もあり、捨てる作品より、残す作品のほうが増えてしまいました。
朝鮮大学校教育学部美術科の学生だったころは、油絵だけでなく、
版画もしたり、陶芸や彫刻もしたりとあらゆる体験をしました。
研究生の時には同級の仲間たちと皆で結構な大きさのオブジェクトを作り、
それを東京駅や六本木ヒルズ、お台場などに運んでゲリラ的に撮影をしたりして、
ひとつの作品を修了作品として作り上げました(見出し写真の白いオブジェがその作品です)。
朝日が昇る前に、眠い目をこすりながら朝鮮大学校を出発して、車で目的地をまわり、
レインボーブリッジをわたりながら、朝日を迎えました。
レインボーブリッジから見た朝日があまりにもきれいで、
仲間たちとこうして朝を迎えることも、もう、ないんだな~と思うと
泣けてきたような想いがあります。
これは学生時代、一番記憶に残った作品であり、一番楽しかった思い出です。
展示会の名前を「交差点」と銘打ち、
作品のテーマは確か、
どんなに環境や自分が変わろうとも、朝鮮大学校で培ったわたしたちの共通の「核」は変わらないというテーマでした。
いまそれらの写真や資料をみると感慨深いものがあります。
朝鮮大学校教育学部美術科を卒業して、もう約10年ほどになる現在、
あの頃の拙いけれど、一生懸命で必死な作品たちをみて、
改めて初心にかえることができました。
本当に朝鮮大学校に通えてよかったな~としみじみ作品たちを見ながら、思いました。
さて、今日は朝鮮大学校創立55周年記念フェスタが朝鮮大学校で催されています。
時間のある方はぜひ行かれてはいかがでしょうか?(愛)