4回目の福島行
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先週の日曜日(11月20日)、福島県郡山市にある福島朝鮮初中級学校を訪ねました。目的は、同校で実施された5回目の放射性物質除染作業を手伝うためです。
3月の東日本大震災とそれにともなう福島第1原子力発電所の爆発事故以降、福島を訪れるのは今回で4回目。3月、4月、7月といずれも仕事(取材)絡みでしたが、今回初めてプライベートでの訪問となりました(もちろん、一眼レフ持参で写真を撮って、現地関係者から最新の情報も仕入れました)。
朝5時起床。東京都内某所で東京都青商会一行の車に便乗し、一路郡山へ。
作業は午前10時から午後3時まで行われました。福島県内の同胞、児童・生徒の保護者、総聯の専従活動家、県外からは東京、千葉、埼玉、茨城、宮城、山形、新潟、岡山の青商会、朝青、留学同、女性同盟など諸団体のメンバー、教員、青商会OB、一般の同胞など100人あまりが集まりました。
過去4度の除染作業は屋外でしたが、今回は校舎と寄宿舎内の清掃がメイン。当面の作業としては最後のものだそうです。福島第1原発の爆発事故によって飛散した放射性物質による汚染の影響を避けるために新潟朝鮮初中級学校で学んでいる福島朝鮮初中級学校の児童・生徒たちは12月3日に行われる学芸会を最後に新潟での生活を終え、福島に戻ってきます。12月7日から授業再開、翌8日には学校再開を祝う行事が体育館で催される予定です。
校舎、寄宿舎、体育館など持ち場ごとにいくつかのグループに分かれて作業開始。天井や壁にたまったほこりを除去し、窓ガラスを清掃、サッシのパッキンや溝にたまった土ぼこりを掻き出して、床のブラッシングも行いました。体育館は床面積が広いため、ポリッシャーを用いての大掛かりな作業になりました。
作業終了後の測定結果によると、校舎や寄宿舎の各所(教室、階段、トイレ、水道周りなど)の放射線量は毎時0.06~0.12マイクロシーベルト。一方、屋外の空間線量は毎時0.2マイクロシーベルト前後の数値で推移してるそうです。
4ヵ月ぶりに訪れた学校は大きく様変わりしていました。この間、県が費用の半分を負担して運動場や校舎、寄宿舎周辺の表土除去作業が行われました。見た感じ、運動場の表土は5~7センチほど削られていたでしょうか。本来であれば、削り取った土をさらに下に埋めるらしいのですが、運動場の下には堅い岩盤があるため掘り返すことが難しく、表土は風に飛ばされないように厳重に固められた後にビニールで何重にも覆われ、運動場の奥に一時保管された状態です。
福島朝鮮初中級学校の児童・生徒たちが地元を離れ新潟で生活するようになってから半年。総聯本部や学校側は学校を再開させるうえで、年間の積算被ばく線量が1ミリシーベルトを下回る環境になること、そして原発事故の収束に向けて一定の前進があること、という2つの条件を掲げました。今回の決断は、運動場の表土除去をはじめとする除染作業が一定程度行われ、建物の補修工事も終了し、被ばく線量を1ミリシーベルトより下に抑えるめどがついたため下したものです。
当初は3学期をめどに考えていたそうですが、諸般の事情で2学期途中のこの時期に前倒しとなりました。やはり親元を離れて暮らす子どもたちへの負担は想像以上に大きく、精神的不安から通常の学校生活に支障をきたす子どもたちもいるそうです。また、真冬の福島-新潟間は雪の影響で行き来が困難になるといいます。
もちろん、福島に戻ってきても、厳しい状況が消えてなくなるわけではありません。市のはずれに位置する同校より、同胞たちが多く住む市中心部の方が線量が高いのが現状です。したがって学校再開を機に、自宅から通わせていた子どもを新たに寄宿舎で生活させる決断をした家庭もあります。運動場の利用を再開するのかどうかも含めて問題は少なくありません。
子どもたちを戻すことに不安がある保護者も少なからずいましたが、福島の同胞たちはともかくも学校を再開させるという新たな決断を下しました。この間、福島の人びとが経験してきた苦悩は私たちの想像すらつかないものだったに違いありません。
福島に対する支援も地道に続いています。今回、東京都青商会から、学校側が設置を検討していたクーラー4台、扇風機20台の購入に充てる支援金が贈られました。ほかに、東京の渋世(渋谷・世田谷)青商会と千葉県青商会からも支援金が手渡されました。先日のサッカーW杯アジア3次予選・朝鮮対日本戦を現地で観戦した宮城青商会の会長からは朝鮮代表選手のサイン入りボールが贈られました。
支援物資や支援金の提供、現地での手伝い、情報発信など被災地に対する関わりようは人それぞれでしょう。私は3月末、震災関連の取材で、大学の教育実習以来10数年ぶりに福島を訪れたのがきっかけで今回まで4回足を運びました。取材を担当したのもたまたまでしたが、これも何かの縁だと思い、仕事以外の形でも役に立ちたいという気持ちから今回、ボランティアに参加しました。
イオでは今年、震災関連の特集を2回組んで、その後も現地同胞のエッセイを毎号載せるなど情報発信を続けてきました。100人いれば100人のストーリーがある。未曾有の大災害に際して、いまだ語られていないこと、既存の報道からこぼれ落ちている物語がたくさんあるはずです。来年以降も、このような話を丹念にすくい上げて読者に伝え、被災地の復旧・復興に少しでも貢献できれば、と思っています。(相)