新潟・福島ハッキョ合同生活とオモニたち
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福島第1原発の事故により、福島朝鮮初中級学校は放射性物質による被爆を避けるため5月15日から学校ごと新潟朝鮮初中級学校へ避難しました。それから約7ヵ月間、新潟と福島の二つの朝鮮学校は合同生活を送ってきたわけですが、12月3日の合同学芸会をもって一旦合同生活を終了し、福島ハッキョの先生や子どもたちは福島へと帰っていきました。
私は、合同生活の最後を取材するため、12月1日から新潟ハッキョへ入りました。
たまに、取材した内容、書きたい内容が多いのに、でも枚数が決められていて書きたいことの10分の1も書けないということがありますが、今回の取材はまさにそうでした。
また、歳をとるにしたがい涙もろくなってきていますが、今回、取材の中で何度も目頭が熱くなり困りました。
新潟ハッキョでの3日間に見聞きしたことのうち、今回はオモニたちのことについて書きたいと思います。
避難する福島ハッキョも大変でしたが、受け入れる新潟ハッキョはじめ新潟同胞社会も大変でした。
まず、福島ハッキョの児童・生徒16人、教員8人が新潟ハッキョの寄宿舎で生活するということで、話が決まって来るまでの数日間で教員やオモニ会のオモニたち、同胞たちが寄宿舎の大掃除を行いました。それまで新潟ハッキョの寄宿舎には3人のきょうだいと先生6人(新潟の先生全員が寄宿舎生活です)が暮らしていました。使っていた部屋はわずかで、半分以上が「物置」のようになっていたといいます。
あるオモニの話によると「隅々まで徹底的に掃除をした」といいます。
そして、5月15日には新潟同胞あげての焼肉パーティーを学校で開いて迎えるという心遣いをしました。
新潟のオモニたちが一番、力を注いだのが食事の準備でした。それまで9人だった寄宿舎の住人が33人に増えたため、新潟ハッキョオモニ会の8人のオモニと女性同盟の顧問など計10人ほどがローテーションを組んで、毎日、朝・昼・晩と食事を作るために学校に通いました。メニューも子どもたちの健康を考え新たに作成したそうです。
朝はオモニ1人とハッキョの教育会副会長が、昼はオモニ1人とそれまでも昼ごはんを作っていた日本人の食母(シンモ)が、夜はオモニ2人が食事を作ってきました。先生も当番制で補助をしてきました。朝食は7時半からなので慣れないうちは6時半ごろには学校に来ていたそうです。
オモニたちもそれぞれ仕事を持つなど日々たいへん忙しい。またそれぞれ条件が違うので、多く受け持つオモニもいれば、少ないオモニもいるけれど、どのオモニも自分の生活をやりくりして食事を作り続けてきたといいます。回数が多いオモニだと週に5~6回は学校に来ていたそうです。
私も取材期間、食堂で子どもたちと一緒にご飯を食べましたが、毎食たいへん豪勢で美味しかった。
12月2日、最後の夜は通学生も学校に残り全校児童・生徒が集まって食堂で「さよなら会」が開かれました。この日は、新潟のオモニ8人全員、福島からも4人のオモニと1人のアボジがやってきて、昼から夜のために豪勢な食事を作りました。おかずの種類は約10種。フライドチキンやポテトフライ、チャプチェ、焼きそばなど、子どもたちの大好きなメニューがずらーと並びました。
新潟のオモニたちはこの日のために全校児童・生徒におそろいのTシャツを準備しました。背中には「福島・新潟 One Heart,for you」の文字が。また、福島のオモニたちから新潟のオモニに、感謝の心をこめた贈り物が渡されました。
お別れ会では、オモニやアボジ、生徒、先生たちの代表が前に出て、送る言葉、感謝の言葉をのべました。ほとんどのオモニたちが目頭を押さえており、こちらも涙腺が緩んできたのでした。
取材で話を聞いた何人かのオモニの言葉を紹介したいと思います。
「もし自分の子どもが親元を離れて遠くに避難しなければいけないと思うと胸が痛みます。オモニたち全員が自分の子どもだという気持ちで食事を準備していました。福島の子どもたちがいなくなると寂しい。いつでも訪ねてきてほしい」(新潟オモニ会前会長のSさん)
「子どもたちがいなくなると寂しい。大変だったけど子どもたちの顔を見るのが楽しみで、楽しみながらやっていました。後半は日本各地からオモニたちが助けに来てくれて楽になりました」(子ども3人をハッキョに送る日本人のオモニ、Sさん)
「子どもたちは帰ってくるたびに成長していました。新潟のオモニたちには感謝しても感謝し切れません」(福島ハッキョ・オモニ会会長のCさん)
「新潟のオモニたちは自分の子ども以上に愛情を注いでいただいた。新潟の同胞のみなさんには、急に子どもたちを受け入れてもらい、また急に福島にもどることになっても、このように温かく見送ってくれて本当に感謝の気持ちで一杯です」(2人の子どもを送る福島のKさん)
「ウリマルや祖国の歴史を学ばせたくて朝鮮学校へ子どもを入れました。本当に入れてよかったと思います。在日同胞の皆さんは困難な時に手を差し伸べてくれ、家族のように接してくれました。異国にいても血の濃さを感じました。私個人としてはこのまま新潟にいても良いという考えもありました」(今年初級部に子どもを入学させた福島のRさん)
こんなに熱い心をもった新潟のオモニたちですが、最後に付け加えると、年齢を訊くとだいたいが10歳から20歳、若く答えるというお茶目な方たちでした。(k)
Unknown
北海道朝鮮初中高級学校の
藤代隆介先生曰く、
“在日同胞社会には思いやりの
精神があります。”
と言ってます。
正に新潟の同胞達が
見せてくれました。
ぜひ特集として記事を載せて下さい。
Unknown
ウリハッキョのオモニ達にとってやっばりどの子もみんな我が子!そんな強い絆で結ばれた同胞社会の素晴らしさが 見事に表れてます。途中涙で曇って読めませんでしたけど、みんなに読んで欲しい記事。ツィートしました。
是非特集記事にして下さい!!
Unknown
ウリハッキョのオモニ達にとってやっばりどの子もみんな我が子!そんな強い絆で結ばれた同胞社会の素晴らしさが 見事に表れてます。途中涙で曇って読めませんでしたけど、みんなに読んで欲しい記事。
太っ腹さま、クレアおんまさまへ
コメントありがとうございます。
新潟・福島ハッキョの合同生活のことは月刊イオの1月号に掲載します。特集ではありませんがご期待ください。