新潟・福島ハッキョ合同生活~子どもたち編~
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今日は、子どもたちについてです。子どもたちについては、書き出すと切りがないので、内容を絞って書きたいと思います。
放射能を逃れ新潟にやってきた福島ハッキョの子どもたち(特に初級部低学年)は、到着するとすぐに運動場で思い切り遊んだそうです。福島にいたときは被曝の恐れからほとんど運動場など外には出られませんでした。
初級部1年のあるオモニは次のように言っていました。
「福島にいたときは、『外で遊んじゃダメ』『これに触ったらダメ』…と、子どもに『ダメ』とばかり言っていました。子どもが悪いわけではないのに。まだ理解できない歳なのでかわいそうでした。特にうちの子は外で遊ぶのが大好きなので、新潟の学校に来て思い切り遊んでいる姿を見たときは良かったと思いました」
今回の合同生活は、一にも二にも、子どもたちの安全のための措置だったわけですが、親元を離れて暮らさなければならなかった子どもたちにはやはり、心身ともに大きな負担をかけたことも事実です。
合同生活の7ヶ月の間、初級部低学年は週に1度、高学年と中級部は2週間に1度の割合で福島に戻りました。学校の車やバスで往復しました。新潟ハッキョと福島ハッキョの距離は約150キロ。車で2時間半ほどかかるそうです。福島のハッキョからまた家に帰るとなると、遠いところだと「5時間ほどかかった」という家庭もありました。
やはりホームシックにもかかり、福島から新潟に戻る時には涙を流す子も多かったそうです。あるアボジは、「福島ハッキョで別れるときに、こちらに見えないよう泣いていたが、知らないふりをしていました」と語っていました。
しかし、合同生活は子どもたちを心身共に大きく成長させたと、保護者や先生は口をそろえて言います。
自分の身の回りのことを自分でできるようになったとか、年下の面倒をよく見るようになったとか、いろいろあるのですが、一番成長した部分は、新潟をはじめとする日本全国の同胞たちの支援と愛情を直接受けることで、同胞社会の大切さを身をもって知ったことだと言います。
福島の校長先生は「多くの支援がなければ合同生活は成り立たなかった。福島の保護者も子どもたちもその支援を心から感謝している。その感謝の気持ちが子どもたちを一回りもふた回りも大きくさせたと思う」と、新潟の校長先生も「子どもたちは、日本全国からの支援を見てたくさんのことを感じ、大きな刺激を受けたはずだ。同胞たちの愛を直接体験することができた」と感慨深げに語ってくれました。
子どもたちの言葉も紹介しておきます。
「ぼくたちのために、新潟のオモニたちが本当によくしてくれた。日本各地遠くからも来てくれた。本当にありがたかった。未来の主人公としてがんばりたい」(福島・中3の李くん)
「新潟のオモニたちがこの間、食事を作ってくださった。忙しい合間を縫ってきてくださった。本当にありがたかった。そのような愛情を受けるたびに力がわいてきた。これからもがんばって生活していかなければと思った」(福島・中3の金くん)
「日本全国の同胞たちが福島のことを心配していることを知り、同胞たちの団結力と、ぼくたちのことを思う気持ちが強いということが良くわかった」(新潟・中3の金くん)
「多くの人たちから支援物資を送ってもらったり、支援していただいた。そのたびに感謝の気持ちをこめて手紙を書いた。遠くから送ってくださる人たちも多く、私たちのためにという同胞のみなさんの気持ちを強く感じることができた」(福島・中2の李くん)
合同生活は2学期末まで行われる予定でしたが、12月3日をもって福島の子どもたちと先生は福島に帰ることとなりました。
福島ハッキョでの5回に渡る洗浄作業、運動場の土の入れ替えなどで、放射線量の数値が十分下がり、安全性に対する見通しがある程度たったこと、今後冬季に入り道路の凍結などが予想され往復が困難になること、親元を離れた生活はやはり子どもたちに精神的に大きな負担をかけることなどが理由です。
新潟での最後の夜には、みんながプレゼントを交換し合っていました。福島の中3の金くんは、自分のお小遣いで同級生におそろいのTシャツをプレゼント。袖には一人ひとりの名前が刺繍されていました。新潟の初5の金さんは同級生と初級部2年の女の子にメッセージを添えたノートをプレゼントしていました。2年生にもプレゼントしたのは、金さんは新潟で数少ない寄宿舎生で一番年下だったため、福島から来た2年生を本当の妹のように可愛がり面倒を見てきたからです。
福島の子どもたちはみんな、「帰れるのはうれしいけれど、でも寂しい」と相反する気持ちを正直に語っていました。新潟の子どもたちは本当に寂しがっていました。
今後のことを少し書きたいと思います。
福島ハッキョでは昨日8日に歓迎する集いが盛大に行われ、学校生活がスタートしました。学校は郡山の中心部に比べて放射線量が低く、家から通うよりも学校にいるほうが安全だということで、新たに寄宿舎生活を始める子どもたちも何人かいるようです。
しかし、保護者や先生たちの心配がなくなったわけではありません。福島のオモニたちは、「まだまだ心配」と言っていました。校長先生も「運動場など外で過ごす時間を制限したり、通学時にマスクをするなど、ルールを決める必要がある」と言っていました。事故を起こした福島第1原発が今後どうなるかわかりません。今後また避難しなければいけないという可能性も0ではありません。
一旦、合同生活は終わりましたが、新潟と福島の二つのハッキョは、これからも「一つの学校」として連携を深めていきたいとしています。具体的には何も決まっていませんが、これから迎える卒業式や運動会など様々な行事を合同で行っていきたいという声が、新潟、福島両方の保護者や先生たちから上がっていました。(k)
Unknown
楽しみにしてました、子供達編。。
今回の特集記事を読んで、オモニ、先生、子供達と関係者みんなに頭が下がる思いです。
ある意味、今回の事で同胞社会の絆を一番肌で感じたのは子供達かもしれませんね。
それぞれの思いを胸に、立派に成長して行ってくれる事でしょう。
感動的な記事をコマッスンミダ!