権利獲得闘争~私のとっての原風景
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唐突だが、20年以上前の出来事について書く。
東京で生まれ育った私は1986年、朝鮮学校初級部5年生から千葉に引越し、それから地元の千葉朝鮮初中級学校に通った。当時、朝鮮学校に通う児童・生徒たちの通学定期券には日本学校に通う児童・生徒たちに与えられている割引率が適用されておらず、大人なみの料金を支払っていた。JRの通学定期運賃は大学生、専門学校生を含む大人を100とした場合、高校生はその10%、中学生は20%、小学生は65%の割引が適用される。しかし行政当局は、朝鮮学校は「学校教育法第1条で定める学校ではない」との理由から、そこに通う児童・生徒たち12歳以上を大人扱いで割引ゼロ、それ未満は50%引きとしていた。今考えるととんでもないが、当時はこのような差別が国鉄時代から20年近くも続いていたのだ。
JR定期券割引率差別是正運動は87 年の国鉄分割民営化後、私の地元である千葉朝鮮初中級学校のオモニ(母親)会が同校の最寄り駅であるJR新検見川駅長に差別是正を要請したのに端を発し、日本各地に波及した。当時の「朝鮮新報」の報道によると、女性同盟と学校オモニ会を中心に、各地の在日同胞、朝鮮学校の生徒たちはこの差別的処遇の是正を求める署名運動を展開、署名総数は60万人を超えたという。各JRの本社と支社への要請も連日行われた。
このような地道な活動、そして日本の市民団体や政治家の力添えの結果、世論も大きく盛り上がり、問題浮上から7年目にしてやっとJR側は要請を受け入れた。94年4月、国鉄時代から続いてきた朝鮮学校児童・生徒らに対する通学定期券割引率差別が26年ぶりに是正された。この年、東京朝鮮中高級学校に入学した私は正規の割引率が適用された定期券で学校に通えるようになった。
またこの運動は、朝鮮高級学校のインターハイ参加認定とともに、教育助成の拡充など、民族教育に対する処遇改善を求める世論を高める引き金にもなった。
そして、付け加えるなら、割引の対象になったのは朝鮮学校に通う子どもたちだけではなく、他の各種学校、専修学校の学生にも同じく適用されるなど、より大きな広がりを持つ運動でもあった。
1975年生まれの私にとって、朝鮮学校の権利獲得闘争の原風景は、この「JR定期券割引率差別是正運動」だった。87年当時、私は12歳で初級部6年生。運動を発起し、引っ張ってきた地元のオモニたちを幼心にも誇りに思ったものだ。当時の彼女たちの年齢に近づくにつれて(私は男で、未婚だが)、自分が今の子どもたちに対して負っている責任について考えざるをえない。
在日朝鮮人の諸権利は上述の例を持ち出すまでもなく、文字通りたたかって勝ち取ってきたものだ。それは今も続いている。
「高校無償化」に地方自治体の補助金支給問題―。声を上げてたたかえば状況は変わり、不正義は正されるということを今こそ大人が子どもたちに身をもって示すべきだと思う。反対勢力の声がいかに大きくとも、道のりがいかに困難であろうとも、現状に対するあきらめやシニシズムに染まることだけは避けなくてはならない。(相)