実家の焼肉屋のこと
広告
このブログで(淑)さん、(麗)さんが焼肉のことを取り上げていて、「イオの3月号の特集は焼肉」というようなことを書いていた。最初にそれを読んだときに、「おいおい、3月号の特集の内容をばらしていいのか」と思ったが、よく考えてみると、イオのホームページ(https://www.io-web.net/)に「次号予告」という欄があり、そこに「アイラブ焼肉~イオが愛を込めて送る同胞の名店(仮)」と明記されているではないか。
と言うことで、私も焼肉について書きたいと思う。イオ編集部で現在、「実家が焼肉屋」というのは私ひとりなので、焼肉についてはうるさいのだ。
月刊イオには毎月、同胞のお店を紹介する「おみせnavi」という連載があるが、そこで自分の実家の焼肉屋を紹介するわけにはいかないので、まず、ちょっとだけ実家の焼肉屋について書きたいと思う。
屋号は「大福」という。まったく焼肉屋らしくない名前だ。場所は京都市右京区にある。創業45年ほどで、地域ではもっともふるい焼肉屋のひとつだ。
長方形の分厚い鉄板、ガスコンロで焼く本当に昔ながらの焼肉屋で、座敷とカウンターだけの20人も入れば満員になる小さい店だ。実家の店をほめるのもなんだが、焼肉も美味しいけれど、ホルモン鍋が有名だし、個人的には刺身類が抜群に美味しいと思っている。京都の同胞社会のある組織関係の中では、知らない人間はいないという店だ。
しかし、私の実家の焼肉屋も、昨今の焼肉業界に吹く逆風のために、やはり経営は厳しいようだ。
実家で生活していた時は、それなりに焼肉を食べていたし、実家から離れて東京で暮らすようになった後、まとまったお金があって「今日は贅沢しよう」と思ったときは、やはり焼肉を食べにいった。行く店も、やはり実家と同じような昔ながらの店が多い。私くらいのツウになると、店の前に立てば、だいたい美味しい店かどうかがわかるのだ。
今は炭火の店や無煙ロースターの店が増えたが、昔ながらの四角いガスコンロで焼いている店は、結構な確率で美味しい。炭火の店でダクトが天井から垂れ下がっている店があるが、個人的に非常に邪魔でうっとうしくてイヤだ。ある程度、煙が溢れているのも焼肉の美味しさの内ではないだろうか。
焼肉という食文化が大きく変化を遂げる大きなきっかけとなったのが無煙ロースターの出現だったと思っている。30年ほど前だろうか。業界としては若い女性客など客層を広げ大きな発展を遂げるうえにおいて多大な貢献を果たしたのだろうが、焼肉が同胞たちの手から少しずつ離れていくきっかけともなったのではないだろうか。
もう一つは「塩」。いま焼肉屋に行ってタンを頼んでも、タン塩しか置いていない。絶対にタレで食べるタンのほうが美味しいのに。今はタン塩だけでなくカルビやハラミ、ホルモン系も塩で食べさせる店が増えた。タンとは違ってタレか塩か選べるのでまだいいが、邪道だと思う。タレで食べてこそ焼肉だろう。
実家の周りにも、大手チェーンの焼肉店が何軒かできた。ここ10年くらいのことだと思う。それが「客入りの悪さ」の大きな原因の一つであることは間違いない。焼肉は、貧しかった在日同胞一人ひとりが育て上げた貴重な食文化である。それだけに、大資本により小さな個人店が駆逐されるというのは、個人的に許せない。
というわけで、3月号では、個人の焼肉屋さんにエールを送るものになれればと思っている。
このブログの読者の皆さんも、一度、私の実家の焼肉屋に足を運んでください。「日刊イオを見た」と言っても、まったく割引はないと思いますが。(k)
昔ながらの焼肉店
「昔ながらの四角いガスコンロで焼いている店は、結構な確率で美味しい」←確かに!!
近所の「中野苑」もそうです。あー、行きたくなった。
それにしても、タンはタレも本来はあったんですか。
タン塩しか知らなかった…。