ネクタイ
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今日は、久しぶりに背広を着ている。
今の職場の良い点というか、気に入っているひとつが、背広を着ることを義務づけられていない、ということ。
背広は、冠婚葬祭や特別なときにしか着ない。仕事ではほとんど着ないと言ってもいい。
背広を普段、なぜ着ないのかというと、突き詰めるとネクタイというものの存在にいきつくようだ。まったく意味がわからない。慣例、風習ということなのだが、ネクタイに何の存在意義があるのかわからない。
ファッションとして好きな人は勝手にやればいいけれど、首が苦しいだけ。夏の暑い日々にネクタイをするなんて、頭がどうにかしているとしか思えない。ただの拷問だ。
そして一番いやなのが、「ネクタイをしないと失礼だ」という社会通念、見えない圧力があること。まあ、私もそれに勝てなくて、時々はこうして背広を着てネクタイをするわけだ。そういう自分も嫌になる。
どんなときにも背広を着ないというスタイルを貫いている人もいて、いいなと思うのだが、例えば結婚式に参加するとして、背広に代わる衣装を持っているわけでもなく、考えるのも面倒なので、結局、背広を着るということになってしまう。「安易な方向」に流れているわけだ。
ここ何年か、政治家たちも特に夏にはネクタイをしないスタイルが多くなって、その点では評価したいと思う。1日も早く、ネクタイというものをしなくてもまったく社会的な圧力を感じない社会になってもらいたい。(k)