「南北コリアと日本のともだち展」を見て
広告
先週の土曜日、渋谷・こどもの城ギャラリーで開催中の「南北コリアと日本のともだち展」に足を運んだ。
同展はその名の通り、北南朝鮮と日本に住む子どもたちが描いた作品を展示する絵画展。子どもたちの絵画による交流を通じて、北南朝鮮と日本をはじめとした北東アジアの平和を築こうという趣旨で2001年から始まった同展は北南朝鮮、日本3者の民間団体による交流の取り組みの代表例として知られている。毎年、日本各地での巡回展に加えて平壌とソウルでも展示会が開かれている。2年前からは中国の延辺朝鮮族自治州からも作品が寄せられている。
2011年のともだち展は昨年5月の横浜を皮切りに東京、ソウル、平壌、延吉、福岡、埼玉と巡回し、今年に入って気仙沼展を経て今回再び東京に戻ってきた。朝鮮から30点、韓国から41点、日本から170点、延辺朝鮮族自治州から26点の計267点の作品が集まった。テーマは「私の宝物」。家族や友だち、サッカーボールなど自分の大切なものを描いた子どもたちの作品は彼らの純粋な精神世界が垣間見られてほほえましい。また、大人が見てもハッとするようなテーマが込められた作品も多い。
個々の作品展示とは別に、近年では「共同制作」という形で日本や韓国の絵本作家などの力も借りながら、東京、平壌、ソウルでのワークショップを通じて一つの大きな作品を作るという試みも行われている。ただ絵を持ち寄って展示するだけではない「双方向」の交流が「ともだち展」の一つの特徴だろう。
東アジアの複雑な政治情勢、とくに朝・日間の関係が年々悪化している中で、このような交流を10年以上途切れることなく続けるのは並大抵のことではない。過去に東京や平壌で「ともだち展」を幾度か取材したことがあるので、関係者の苦労や喜び、自負の気持ちも少しはわかっているつもりだ。
「ともだち展」の歴史の中でいまだ実現されていないこと、それは北南朝鮮、日本、そして在日朝鮮人の子どもたちが一堂に集まることだ。さまざまな政治的事情が重なり、朝鮮の子どもたちは日本や韓国に行けず、日本や韓国の子どもたちも朝鮮を訪れることが難しい。日本の子どもが平壌に行ったのも、昨年8月のワークショップに小学生1人が参加したのが唯一の事例。
一方で、在日朝鮮人の子どもたちは北南朝鮮と日本を行き来して、3者の間をつなげる役割を果たしてきた。昨年、過去に「ともだち展」に携わった経験のある朝鮮学校の生徒たち(今では高校生、大学生)を取材する機会があったが、「北南朝鮮と日本をつなぐ存在になりたい」「今後も『ともだち展』に関わっていきたい」など自らの立ち位置についてとても深く考えていることに感銘を受けた。
関西学院大学教授で「ともだち展」実行委員の山本俊正さん(牧師)は以前、同展の意義について以下のように指摘していた。「冷戦状況が続き、『抑止論』が幅を利かせてきた北東アジアの歴史の中で『ともだち展』の歴史は、平和創造の対抗軸として、抑止論を克服する『信頼の醸成』『対話の継続性』など有効な価値を示し続けてきた」。
東京で、平壌で、ソウルで子どもたちみなで集まり、楽しいひと時を過ごすことは夢物語なのだろうか。取り巻く状況は大変複雑で厳しいが、決して不可能ではあるまい。実行委員会の地道な取り組みに最大級の敬意を払いつつ、私もその活動の拡大に少しでも貢献できればいいと思っている。(相)