朝鮮で出会ったあたたかい人たち
広告
タイトルの記事に入る前に…
東日本大震災から1年が経ちました。本当に時間が過ぎるのは早い。
当たり前だったあの日々が、大切な人が、場所が、あの地震、津波によって一瞬にして奪われました。
東京に暮らす私自身、実際に受けた被害はごく微少でしたが、あの震災によって私の心に芽吹いた「不安」「恐怖」「焦燥」「希望」「人間愛」…
この1年で感じた感情は、決して「他人事ではない」ことを知らしめるものでもあり、またそれに気付かされた1年でもありました。
私は被災地を、被災者の声を、直接見聞きしたわけではありません。
どれほどの被害が、どれほどの人びとが心を抉られたのか―。私には到底計り知れません。
ですが、イオの編集部員として現在の被災者たちの姿、復興へと向かう姿を知っていくこと、伝えていくことは出来る立場にいます。
イオではこの一年間、被災地の同胞たちと同胞社会の姿を伝えてきました。
そして、記者が伝えてきた「声」は、記者の手によって形となり、ダイレクトに私のもとへと入っていきます。
身内を亡くされた同胞の声、心境に胸がつまり、人と支え合い前を向いて力強く歩み出す姿に、人間の強さを感じました。
これからもイオのデザインをしていく以上、記者とともに「被災者のこれから」を伝えていかなければと、胸に刻みました。
タイトルの内容に入ります。
昨日、無事4月号の締め切りを終えました。
(愛)さんが書いていたように、4月号は「2012年の朝鮮のすがた」を特集します。そして今回の特集デザインは私が担当します。
いま、朝鮮はまさに “建設ラッシュ”。その勢いあふれる活気は現在、朝鮮に滞在している(里)さんの記事と写真に目を通すことでひしひしと伝わってきました。
私が5年前に朝鮮を訪問したときとはかなり違っているのが見て取れます。
その頃は、宿泊していた平壌ホテルの一室で外も出ず朝から晩まで課題である朝鮮画を描いていました。
朝鮮画を教えてくれた金先生は簡単な日本語が理解できるくらい美術科との付き合いが長い人物。
そんなこととは露知らず、「もう描きたくない〜」と日本語で愚痴を言っていると、
ともに朝鮮を訪問した担任の先生から「金先生は日本語がわかるからいまの愚痴もみんな理解してるんだぞ…」と呆れ顔で言われたりもしました。
毎朝コーヒーを飲む時は、片手をポケットにつっこんでホテルから見える景色を眺めるのが先生のスタイルでした。
その姿はまさに“ダンディ”そのもので、思わず筆を止めて「渋い…」と言ってしまうほど。
行き詰まった時に遊びで描いていた自分たちの落書きを見て、「中々うまいじゃないか」と言いつつ、対抗心を燃やしながら同じ落書きを描き出したり。
中でも、私たちが日本から持ってきたミルク味のキャンディを何気なく食べた先生がこんな美味しいものがあったのかというくらい大絶賛し、
「君たちの後輩に、来年もこのキャンディを必ず持ってくるように伝えておくれ」と、ニコニコしながら言ったのがとても印象的でした。
キャンディを食べた時の先生の幸せそうな顔がいまでも忘れられません。
朝鮮に滞在していたときは、楽しかった思い出しかありません。
出会う人がみな素朴で、暖かくて、寛大で…。
日本に帰る前日に「私を置いて帰るのか?」と冗談まで言う先生もいました。
日本で報道されているような朝鮮の姿は、どこにもありません。ここでは時間がゆっくりと流れていました。
おもわずくすりと笑ってしまう朝鮮の人たちとの思い出。
みな元気にしているのかなと、今回の特集を組みながらふと思い出したのです。
今回の特集デザインは、読者のみなさんに「朝鮮に行きたい!」と思えるような楽しい誌面づくりを目指しました。
かなり見応えがあるので興味深く読んでいただけると思います。
イオ4月号をお楽しみに!(麗)