3月11日の憂鬱
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前回に引き続いて、東日本大震災に関連する話を書きたい。
震災発生から1年にあたる3月11日は日曜日だった。テレビは「3.11」一色。朝から夜までさまざまな特番を放送していた。私もそのうちのいくつかをリアルタイムで視聴し、いくつかは録画して後日観た。テレビメディアがあの震災をどのように振り返り、現状をどのように認識しているか興味があったからだった。
予想通りというべきか、外国人被災者のことを扱った番組を目にすることはできなかった。もちろん、ローカル局を含めすべての番組を観たわけでもないので断定はできないが、仮にあったとしても非常に少なかっただろう。
それは何も今年の3月11日に限ったことではない。震災発生当時から現在まで、日本に住む外国人(外国籍を持つ住民)のうちどのくらいの人が地震、津波、原発事故などの被害を受け、どのような境遇にあるのかをまともに取り上げた報道は極端に少なかった、よほど目を凝らさないと出会えない、そんな状況だった。
初歩的に調べてみた。今回の震災で災害救助法が適用されたのは7県の194市町村(帰宅困難者に対応した東京都と、3月12日に発生した長野県北部地震によって適用となった長野、新潟両県を除く)。もっとも被害の大きかった岩手、宮城、福島3県では全市町村に適用されたが、その3県の外国人登録者数は33623人(法務省の2010年度統計)だ。そのうち永住者が9433人、特別永住者が4177。3県だけでも外国人は3万人以上いる。もちろん当然だが、本当の意味での深刻な被害を受けた人はこれよりずっと低い数になる。しかし、他県の数字を合わせて考えても、今回の震災で被災した外国人は決して無視できるほど少ない数ではないだろう。
日本にはさまざまなルーツを持つ人びとが暮している。それは今回大きな被害を受けた東北地方でも然り。しかし、少なくとも私が見た限り、マスメディアが報じる東日本大震災に外国人被災者は存在していなかった。テレビ画面や紙面にうつるのは日本を「脱出」する姿だけ。地域に根ざし、暮す人びとの姿は見えない。
いや、日曜日の特番で被災地で外国人を大きく取り上げた場面が一つだけあった。米軍による「トモダチ作戦」だ。
東日本大震災後、日本各地、世界各地から被災地へ支援の輪が広がっている。素晴らしいことだ。一方で、「絆」や「がんばろうニッポン」「一つになろうニッポン」「つながろうニッポン」(いくらでもある)という曖昧な共感を促すスローガンが社会を覆った。だいぶ減ったが、今でもそうだ。復旧、復興に団結、協力して取り組んでいくことに異存はない。しかし、そこでイメージされる「ニッポン」の定義には果たして何が含まれ、何が排除されているのか。その中に在日朝鮮人は入っているのだろうか。
そして、そのスローガンは原発事故における日本政府や電力会社の責任、高橋哲哉氏が指摘するような「犠牲のシステム」、外国人をはじめとするマイノリティの存在など、いくつかの重要な問題を隠蔽する形でも機能している、と個人的には思う。
ここ数日、震度4~5クラスの余震が相次いでいる。一昨日も、私が住む千葉県で震度5の揺れがあった。いまだ続く地震に正直うんざりしている。そして、自分の職場が、防災の必要性を治安対策と強く結びつけて表明してきた人物がトップに立つ自治体にあるということも、気分を憂鬱で暗くさせている。そう、かつて日本が植民地支配したアジア諸国の人びとに対する排外主義をたびたび煽ってきた石原東京都知事だ。
彼の12年前の発言を引用しよう。
「今日の東京を見ると、不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している。もはや東京における犯罪の形は過去と違ってきた。もし大きな災害が起こった時には大きな騒擾事件すら想定される。こういうものに対処するために警察の力では限りがあるので、みなさんに出動願って、災害の救助だけではなく、治安の維持も大きな目的として遂行していただきたい」(4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地での記念式典)
いわゆる「三国人」発言。心配しすぎ? 被害妄想? とんでもない。90年前の関東大震災時の朝鮮人虐殺という立派な前例がある。
数年以内に首都直下型地震が発生する可能性がささやかれている。もちろん、そんなものが来ないに越したことはない。少なくとも彼が知事でいる間はどうか起こってくれるな。何のオチもないが、そう祈るしかない。(相)