社会生活をスタートさせる人たちへ
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高校や大学などを卒業した人たちが、新社会人として新たなスタートを切る季節です。わが社にも新入社員が入ってきました。
誰しもが新入社員だったときがあるわけで、わたしも30年以上前ですが新入社員でした。学生という身分から社会人になる。仕事の内容もまったく経験がない。初めて日本の首都・東京で生活する。初めての一人暮らしがスタートする。
いろんな意味で不安がありました。しかし、その当時を思い出してみると、不安よりもやはり、希望というか胸を膨らませるほうが多かったように思います。一度は東京で生活したかったし、一人暮らしにも憧れていましたから。
このブログでも書いたと思いますが、特に出版・報道関係を希望していたわけでもないけれど、この道に進めたのは、当時は総聯組織の受け皿が今と比べ物にならないほど大きかったし、力も強かった。朝鮮学校の数、児童・生徒数も今の何倍もいました。同胞社会自体がもっと活力がありました。
また、日本社会も今とは違っていました。世界を見渡せば社会主義国もたくさんありました。
わたしが新入社員の時に感じていた希望や期待の多くは、そのような当時の置かれていた状況によるところも大きかったのだと思います。
今年入社した人たちは中学1年の時に、いわゆる「拉致問題」が起こっています。思春期の入り口のところからずっと、「北朝鮮憎し」の日本社会の狂乱のなかで生活してきたわけです。朝鮮学校を露骨に弾圧したり南京大虐殺はなかったと発言したりする知事や市長が、当たり前のような顔をしてその座に居座っていられる。
同胞たち、同胞社会はたいへん難しい状況に置かれています。
このような状況の中で、同胞社会のために働こうという決意をもって朝鮮学校を卒業し社会に出る人たちを前に、すごく期待したいという気持ち、このような状況を作ってしまったことへのすまない気持ち、同じ社会人としてこれから一緒にがんばりたいという気持ちなどなど、いろんな感情がこみ上げてきます。
ともかく、実りある社会人生活を送ってほしいと願っています。社会人としての生活は、学生時代よりも何倍も長いのですから。(k)