在特会の「闇」とは何なのか
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さる連休期間中に「ネットと愛国-在特会の『闇』を追いかけて」(安田浩一著、講談社)を読みました。
言わずと知れた(?)在特会(在日特権を許さない市民の会)の姿を追ったルポです。以下、感想など思うままに書き記したいと思います。
本書で著者は、桜井誠会長をはじめとする会のメンバーとその周辺の人物、団体、そして攻撃される側の在日朝鮮人にいたるまで丹念に取材を積み重ねていきます。ときに罵声を浴び、脅され、取材を拒否されながらも対象に切り込んでいくアプローチは、まさに「体当たり」という表現がぴったりです。
今まで知らなかった事実にも触れることができて、非常に興味深く読みました。しかし、本書読了後、暗澹たる気持ちになりました。
著者は在特会を理解するためのキーワードの一つとして「承認欲求」を挙げています。社会の矛盾を背負わされた人間の閉塞感、「自分の存在が軽視されている、自分を認めてほしい」という鬱屈した感情。それを理解できないとは言いません。しかし、なぜそれが外国人嫌悪や差別、排外主義に向かうのか、なぜ在特会が掲げる、一種の「陰謀論」としかいえない荒唐無稽な主張が賛同を得るのか。ヘイトスピーチを投げつけられる側の人間として、腹立たしさとともに、いくつもの「なぜ」が頭の中を駆け巡りました。そのたびに読書を中断し、あれこれと考えにふけり、結局読み終えるまで数日を要しました。
本書には09年の京都朝鮮第1初級学校襲撃事件をはじめ、在特会がらみの諸事件の顛末も記されています。同胞の人々が誹謗中傷で傷つけられたくだりを読み、胸が締めつけられました。正直、精神衛生上よろしくありません。
昨年10月、在特会が東京・小平の朝鮮大学校の創立55周年記念行事に押しかけて門の前で「抗議行動」を繰り広げたことがありました。直後、私はブログでこのことについて書きました。
http://blog.goo.ne.jp/gekkan-io/e/d475315ac4201488c76f8958db9b9363
半ば怒りにまかせて書いた拙い文章なのですが、在特会に対する「最悪のレイシスト集団」という評価は今も変わっていません。「彼らの主張は社会の例外的意見ではない」とも書きました。在特会の主張を「ソフト」にしたようなものなら、今もそこらじゅうに転がっています。そして、「殺す」と名指しで言われた側にとって、彼らの「自己承認欲求」や「不満」など知ったことじゃない、という思いも基本的には変わっていません。
本書で描かれる在特会会員らは礼儀正しかったり、思いやりがあったりと「結構いい人」なのです。街頭での差別発言の苛烈さと、会の活動を離れた時の姿の落差は大きい。もちろん、人種差別主義者や排外主義者が職場や家庭では「いい人」である例など別に珍しくないので、驚きはしません。が、「普通の人びと」であるからこそ尚更、そんなことをサラッと言える神経に心底恐ろしさを感じるのです。
「普通の人」がそんなことをする、誰もが加害者になりうる。在特会とそれを批判する人々の違いなんてそんなに大きくない―。そのことに自覚的にならなければいけないとは思います。差別や排外的行動に走るかどうかは紙一重なのかもしれませんが、その差は「大きい」。だから、在特会の行為は徹底的に批判されるべきです。どのような背景があるにしろ、彼らの行為を正当化したり擁護したりなどできません。鬱憤晴らしの標的にされた人々の痛みはどうなるんだ!と言いたくなります。「弱者のふりをした在日朝鮮人が数々の特権を享受し、日本人を苦しめている」なんて途方もない倒錯です。
一方で、彼らの怨嗟と憎悪の大きさ、その「闇」の深さに慄然としたことも確かです。「フジテレビデモ」のくだりなどは空恐ろしさを感じました。なぜこんなふうになってしまったのか、ほかに道はなかったのか。うまく形容できないのですが、彼らが暴れまわっている姿はある意味哀れで痛々しいとさえ思えました。
「ごく普通の人びと」を苛烈な排外的行動に駆り立てるものとは何なのか。エピローグには次のように書かれています。少し長くなりますが、以下に引用します。
「たとえ在特会がどんなにグロテスクに見えたとしても、『社会の一部』であることは間違いない。彼らは世間一般の、ある一定の人々の本音を代弁し、増幅させ、さらなる憎悪を煽っているのだ。
(中略)
在特会はあなたの隣人である。人の良いオッチャンや、優しそうなオバハンや、礼儀正しい若者の心の中に潜む小さな憎悪が在特会をつくりあげ、そして育てている。街頭で叫んでいる連中は、その上澄みにすぎない。彼ら彼女らの足元には複雑に絡み合う憎悪の地下茎が広がっているのだ」。
今の社会を覆う排外的な空気を心底怖いと感じます。最近では、「賢く憎め」とばかりに、憎悪をスマートかつカジュアルに煽るやり方も増えていますが、これはある意味在特会よりたちが悪いのではないでしょうか。
在特会を「例外的な事例」として無視したり嗤ったりするだけでは変わらない。ではどうすればいいのかと問われると、うまく答えることはできませんが。
前後の脈絡もなしに書き散らかしてしまいました。ただ、本書が「在特会的」なものを生み出す土壌について考えるうえで、すぐれた現場報告になることは間違いないと思います。(相)
上澄み?
安田浩一氏に言うべきことだけど、「上澄み」って語には違和感ありますよね。
在特会は澄みじゃなくて滓、濁り。
Unknown
日本人から見ても完全に「頭のおかしい集団」ですよ!
まともな人で支持している人なんて居ません。逮捕されて当然の集団だと思います。
ただ在特会によって日本社会を一刀両断してしまうのは少し悲しいですね。
Unknown
kame様、コメントありがとうございます。読んだ人ごとにさまざまな意見があるでしょうね。本書がこの問題に関して考えるうえで、さまざまな材料を提供してくれていることは確かだと思います。
Unknown
jusmin様、コメントありがとうございます。「ただ在特会によって日本社会を一刀両断してしまうのは少し悲しいですね」というのはおっしゃるとおりです。ただ、在特会が今の時代と完全に切り離された地平から、それこそ突然降ってわいた存在だとは思えません。安田氏が書いているように、やはり「社会の一部」であると思います。もちろん、彼らの存在によって日本人や社会全体が断罪されるべきではありませんが、なぜあのような団体が生まれて、一定の存在感を誇示していられるのか、については考えていくべきだと思います。
在特会って
安田氏もおっしゃられてますが、在特会の主張をごく柔らかくした感じの主張って、そこら中にあふれていますよね…ということを、最近実感しました。僕の通っている学校の近くに、外国人学校があるんですが(特に中国人や韓国人が多い)、その人たちのことを、クラスメイトが「チョン」「チャンコロ」といっているのが聞こえました。ちなみに、そのクラスメイトは、性格が悪く傲慢で、個人的に嫌いだったので、余計腹が立ちました。それはともかく、それと同時に、一応こういうどこにでもいそうなチャラ男でも、差別用語使うんだな、と少しショックを受けました。やっぱり、差別意識って誰にもあるんでしょうか。図書館で、この本予約したので、届き次第読んでみます。拙い文章、失礼しました。
さらにショックな事
さらにショックな事があったんで、書かせて下さい。僕のクラスメートが、と上に書きましたが、更にゆゆしい事に、僕の親友までもが、「バカチョン」「韓国は世界中の嫌われ者」と、言ってのけました。別に、彼はネトウヨを批判してますし、在特会の事も馬鹿にしてました。そういう人間でさえ、差別用語使うんやから、在特の言動のトゲトゲわけだ。自分の親友で、普段笑いあってる仲間だけに、無性に腹立ちました。サウンドオブミュージックのワンシーンを思い出しました。愛し合っていた、愛しい愛しい彼が、実は彼女の父親が一番敵視していたナチスのゲシュタポに所属し、ハイル•ヒットラー!を連呼、最後は自分とその家族を裏切る…。まあ、そんな大げさなげさな話じゃないけども、なぜだか、それくらいショックでした。身近な人間が差別用語使っていたら、やはりショック受けます。自分は、なるたけ使わないように、気をつけます。
酷いU+203C
在特会の差別用語連発する姿を見て絶句しました。
この現状を直視せねばなりませんね!
私は日本人で旦那は在日三世ですので、話をしました。
まだこんな事が繰り返されるのかと今までに見た事がないくらいの悲しい顔をしていました。
在日として日本に生まれただけで差別され、帰る所なんてないのに帰れと言われる悲しさが伝わり私が泣いちゃいました。
言わなきゃ良かったかなとも思いましたがデモに遭遇する可能性があった為心構えが必要かと思い話しました。
無意味な喧嘩をする人じゃなく温厚な人ですが弱い老人が辛い思いをしてる事が許せない様子でした。
人間は否定したくないので…彼等の心の中にある悪を憎みます。