金環日蝕―宇宙の神秘と人間の不思議
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21日の金環日蝕、私も6時過ぎには近くの公園にキャンプ用のイスを持ち込んでスタンバイしその時を待っていました。
太陽が欠け始めた最初は雲が覆い、あまり良く見えませんでした。これはダメかと思っていたのですが、
みるみる雲がなくなりリングができる20分ほど前からは、はっきりとその一部始終を観察することができました。写真も撮影できて非常にラッキーでした。
そのときだけ青空が広がったのは、後で聞くと息子は正真正銘の「晴れ男」だそうで、そのおかげだったようです。
今回の金環日蝕騒動で感心したのは、いつどこで日蝕が起こるのか、非常に正確にわかっていることです。19日のこのブログでも(淑)さんが「日本で観察できるのは、1987年に沖縄などで見られた以来25年ぶりで、次回は18年後の2030年(北海道でのみ見られる)だそうだ」と書いています。
「これだけ広範囲で見られるのは○○年ぶり、今度東京で見られるのは○○年後」とか、何百年も前や先の日蝕のこともわかっているんですね。
それだけ、太陽、月、地球(他の天体も)の動きというのは、寸分たがわずと言っていいほど決まった動きをするということなのでしょうし、また、人間の言う1000年ほどの時間は宇宙の流れの中では長い時間ではないということなのでしょう。それにしてもその動きをコンピュータが何年も先にわたって正確に計算できるということは、頭ではわかっていても、「本当なのか」と思いつつ、人間というのはすごいものだと感心してしまいます。
ところが、同じ人間が、5分先のことでもわからないことが多い。また、例えば、「差別は悪いことだ」と万人が思っている(?)のに、人種差別、男女差別、職業差別、障がい者差別…と数え切れないほどの差別を行い解消することができない。生まれた瞬間から一生使い切れないほどの富を持つ人間がいる一方、その日食べるものさえなく死んでいく人がいるという貧富の差。これも解消できていません。
月に何度も人を送り込むほどの英知がありながら、自国のエゴのために他国を武力で押さえつけ、他民族を虐殺するということも繰り返されています。不思議です。子どもの頃からただ単純に不思議に思っていて、今も不思議です。
世間と同じように今回の金環日蝕にうかれながら、そんなことを考えていました。
今回の金環日蝕は満足だったのですが、ひとつ残念だったのは太陽があれだけ隠れたのに、思ったよりも地上が暗くならなかったことです。確かに暗くはなったけれど、曇った程度。予想に反しました。皆既日蝕に期待したいと思います。次の日本での皆既日蝕は2035年9月2日、能登半島から長野、前橋、宇都宮、水戸あたりで見られるそうです。(k)