2年ぶりの平壌勤務の始まり
広告
2週間ぶりのブログ執筆です。前回のブログでもお伝えしたように、5月19日から朝鮮新報平壌支局での勤務が始まりました。
18日に日本を発ち、北京で1泊。そして翌日平壌へ。自身2年ぶりとなる平壌での暮らし。かつて日本と朝鮮民主主義人民共和国を行き来しながら取材活動をしていた身からすれば、2年というブランクは結構なものです。空港に降り立った瞬間、特別な感情がこみ上げてくるのかな、と思いましたが、全くそんなことはなく、今までと同じように淡々と入国手続きをこなす自分の姿に、われながら拍子抜けしてしまいました。空港のターミナルビルは改装工事中で、臨時の建物ができていたことが、2年前とは違う部分でしょうか。
北京空港で預けた荷物をターンテーブルの前で待つこと数十分。なかなか出てこない荷物にイライラが募ります。そうこうしているうちにターンテーブルがストップし、これ以上の荷物はない、とのアナウンス。「すわ一大事! 預けた荷物はどこへ行った?」と一人焦っていると、この日は北京から自分が乗った便を含めて2便が到着する予定で、預けた荷物は1時間後に到着する次の便で運ばれるとのこと。いつまでたっても姿を現さない私を心配してこちらを見つめる現地ガイドのYさんに税関のカウンター越しに事情を説明し、とりあえず手荷物のみで入国手続きを済ませました。
8年来の付き合いになるYさんと再会の握手。彼の変わらぬ柔和な笑顔を見た瞬間、「ああ、平壌に来たんだなあ」という実感がわいてきました。
空港から宿泊先兼仕事場になっている平壌ホテルに向かう車中、Yさんから新しくなった平壌の街並みについて説明を受けたり、昨年12月の金正日総書記の逝去から金正恩第1委員長の最高指導者推戴、4月の金日成主席生誕100周年にいたるまで現地で起こったさまざまな出来事について聞いたり。その現場を直接見聞きしただけあって、話は生々しく、あらためてこの間の激動の一部始終を頭の中で整理することができました。
滞在して2週間ですが、2年という短い不在の間にも朝鮮は少なからず変化していることが見て取れます。大同江のほとりから眺める街の景色しかり、通りに立つスローガンの内容しかり、人々の仕事ぶりやライフスタイルしかり。ホテルの従業員や仕事上つきあいのある部署の担当者もだいぶ代わっていました。一方で、うまく形容できないのですが、全体的にゆったりとした時の流れや、人々の大らかさや温かさといったものは以前と変わっていないように感じます。
金日成主席生誕100周年行事を終えた「祭りの後」の平壌。最近話題になっていることの一つが、6月3日から8日まで行われる朝鮮少年団創立66周年記念行事です。朝鮮少年団とは、9歳から13歳までの子どもたち(朝鮮の教育制度でいえば、小学校3年生から中学校3年生までの児童・生徒たち)が入る団体で、創立年月日は1946年6月6日。
50周年や60周年といった区切りの年でもないのに(6月6日に創立された団体が66周年、ということで数字の語呂がいいことは確かですが)、なぜ話題になっているのか。それは、この行事に参加するために朝鮮全土から2万人あまりの子どもたちが平壌に集まるからです。平壌を含む全国のすべての小・中学校から代表が選出されるということで、選ばれた本人はもちろん、その家族にとっても名誉なことなのでしょう。テレビのニュースでは、学校をあげて、町全体をあげて代表に選ばれた子どもたちの平壌行きを祝う各地の様子が映し出されていました。支局の現地スタッフいわく、全国の子どもたちがこの規模で一堂に会するのは前例がないとのこと。
一昨日の5月30日、地方からの参加者たちの第1陣が空路、平壌に到着しました。この日、平壌入りしたのは朝鮮北部・咸鏡北道の子どもたち1500人。昼前に到着した第1便を皮切りに、計10便が数十分間隔で断続的に彼らを乗せて空港に降り立ちました。私自身、平壌空港であれほど頻繁に飛行機が離発着する姿を見るのは初めてでした。
タラップを降りる子どもたちの表情は少々緊張気味。彼らのうちの多くが初めての平壌訪問、初めての飛行機の旅で、おまけに眼下にはテレビカメラやマイク、スチールカメラを持った数十人の記者たちが待ち構えていたのですから、いたしかたないのかもしれません。それでも、迎えのバスに乗り込んで空港を出発する頃にはきゃっきゃとはしゃいだり、笑顔を浮かべたりと、子どもらしい自然な姿を垣間見ることができました(写真)。
平壌滞在期間には、市内の各所を見て回ったり、行事に参加したり、遊園地や動物園で遊んだり。普段会うことのない他地方の同じ年頃の子どもたちとも一緒に過ごすことができて、思い出深い日々になるのでしょう。
それにしても大変なのは、彼らを受け入れる側です。2万人以上の子どもたちがいくつものグループに分かれて、国家行事に参加する代表として1週間近く市内を動き回るわけですから。滞在期間のスケジュールをコーディネートする担当者に、宿泊先をはじめこどもたちを迎える各施設、交通機関、それに彼らを引率する教員たちまで、慌しい日々が続くはずです。子どもたちが訪れる予定になっているある施設のガイドさんは、「今までにないことなので、準備は万全にしている。子どもたちにはこの間、平壌で楽しく意義深い日々を過ごしてもらいたい」と話していました。
3ヵ月の滞在と考えると、平壌発のブログはあと10回ほどでしょうか。取材時のこぼれ話や自分の身の回りの些細な出来事、在日同胞記者が祖国で感じたことなど、要するに取材、記事執筆といった正式な仕事の合間の「気分転換」的な文章を気ままに書き綴っていきたいと思います。(相)