モンダンヨンピルコンサート
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明日22日、東京のなかのZEROホールでモンダンヨンピルのチャリティーコンサートが開かれ、取材を担当することになりました。
韓国のアーティストたちが、東日本大震災によって被害を受けた朝鮮学校を支援するため、立ち上げたモンダンヨンピル。モンダンヨンピル(몽당연필)とは、「ちびた鉛筆」という意味で、「鉛筆を削って削って、これ以上短くなることができなくなるまで大切にして使う心」で朝鮮学校を助けようという意味で名づけられたそうです。
イオは7月号で「高校無償化をあきらめない」というタイトルで、朝鮮学校の権利問題を特集で扱いましたが、宮城県は震災直後に東北朝鮮初中級学校への補助金を電話一本で打ち切るなど、ひどい仕打ちをしてきました。同校の新校舎建設が一刻も早く望まれるなか、朝高への無償化適用を訴えつづけてきた日本の方々がコンサートを主催してくれたこと、海を越えた同胞たちが支援に駆けつけてくれる事実に心が温まります。
記事の構想を練りながら、思い出したのは2002年9月に韓国で初めて実現した朝鮮学校生の公演でした。
朝鮮半島の分断は、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の軍事的な緊張状態と、政治をはじめとするあらゆる分野での敵対関係をもたらしてきました。それは、在日コリアンの暮らしにも大きな影響を与え、日本から南北朝鮮に自由に行き来できない不幸な歴史が続いてきたのは周知の通りです。
だからこそ、分断史上、そして民族教育史上初めて総勢90人の朝鮮学校生が韓国を訪れたのは歴史的な出来事でした。
ソウル、全州で行われた公演には4500人の市民たちが詰めかけ、朝鮮学校生の姿を目にしました。ソウルで出会ったある20代の女性は、朝鮮学校の歴史を伝える映像が流れると、目に涙を溜めながら「在日同胞が異国で民族を守るためにどんなに苦労したのかをよく知らなかった。南の社会が同胞に対する正しい認識を持てていなかったことを恥ずかしく思う」と話していました。
韓国における朝鮮学校児童・生徒たちの公演は、2000年6月15日に発表された6.15共同宣言によって生まれたといえます。民族同士が力を合わせ統一することを誓った共同宣言は、多くの人の胸にあった分断の壁を崩しましたが、朝鮮学校を訪れる韓国の同胞が増えていったのもこの頃からです。
生徒たちを招待したのは、韓国青少年サラン会(理事長:金相賢国会議員)と韓国文化放送(MBC)。金議員は、生徒たちが日本に明日発つという晩餐の席で「長い間、われわれの胸の中にあった壁を崩し、…平和・統一への思いを育んでくれた朝鮮学校の子どもを誇りに思う」「南北をつなぐ架け橋の役割を果たしてほしい」と生徒や子どもたちにエールを送っていました。
明日、南のリ・ジサン、ウリナラなどの歌手や俳優たちとともに朝鮮学校の生徒たちも舞台に立ち、ステージを作りあげます。
彼らの姿は、朝鮮学校生が誰しも持っている「架け橋」としての可能性を見せてくれるだろう。。。今から期待一杯です。(瑛)
Unknown
いよいよ明日ですね。
今回、光栄にも末娘が舞台に立ちます、
いろんなことを感じて成長してほしいです。
明日、久しぶりにお顔見れることを期待してます。