朝鮮半島分断の最前線に立って
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1週間ほど前の今月5日、板門店を訪れた。
金正日総書記の逝去100日追悼行事に参加するため3月24日に単身入北した後、現地に滞在していた盧修熙さん(祖国統一汎民族連合南側本部副議長)がこの日の午後、板門店を越えて南側に戻った。盧さんに同行して、車で平壌から開城、そして板門店へ。彼が軍事境界線を越え、韓国政府要員に拘束、連行されるまでの一部始終を見届けた。
ここを訪れたのは何年ぶりだろう。6年ぶり? いや、7年? よく思い出せないが、久しぶりだったということは確かだ。
冷戦の滓(おり)が凝縮され沈殿したこの地に足を踏み入れるたびに、何とも形容しがたい感覚にとらわれる。朝米対立と北南分断の最前線―、いやがおうにも全身が緊張する。朝鮮半島の東西を横断する240キロにわたる軍事境界線と、その北南両側に2キロずつ帯状に設置されたDMZ(非武装地帯)は世界有数のホットスポットだ。一方で、板門店は朝鮮の代表的な「参観地」として整備され、非武装地帯内の手つかずの自然や田園風景は一見するとのどかな雰囲気を醸し出してもいる。停戦中(59年間!)とはいえ、いまだ継続している朝鮮戦争の最前線に立つというリアリティが圧倒的であればあるほど、現実感覚が希薄になるという不思議な感覚。
この日、南側に帰還した盧さんは、北側では統一運動人士として歓待を受けても、南側では政府の許可なく北を訪問した「国家保安法」違反の「犯罪者」となる。境界線を越え南側に一歩足を踏み入れた瞬間、彼は屈強な政府要員に両腕をつかまれた。それを振りほどこうとするささやかな抵抗もむなしく、首に腕をかけられ、地面に倒され、くみしだかれ四肢の自由を奪われた後、荷物でも運ぶように連行されていった。この間、10数秒。
国家権力の有無を言わせぬ実力行使を目の当たりにするのは初めてではないが、場所が板門店ということもあって、少なからず衝撃を受けた。響きわたる開城市民の悲鳴と怒号が耳にこびりついて離れない。全員撤収し静まり返った板門店南側地域に、盧さんが両手に持っていた「統一旗」と花束が放置されたままの光景がいまだに脳裏に焼きついている。
不信と反目と対立が支配する現在の朝鮮半島。「6.15統一時代」が昔話に思える。
そして韓国では今、「従北勢力(北に追従する勢力)」に対するバッシングが猛威を振るっている。盧氏帰還後、「待ってました」とばかりに勢いづく右派。統合進歩党の選挙不正問題に端を発した韓国内の「従北勢力」バッシングのニュースはこちらにいても伝わってくる。
「従北」―。冷戦時代にタイムスリップでもしたのか。「アカ」や「北のスパイ」といった手垢にまみれたレッテルをほうふつとさせる。反対勢力を攻撃するうえでこれほど「便利」な言葉はないだろう。「従北」のフレームにとらわれたが最後、どこまでが「従北」で、どこまでが「従北」ではないといった線引きなど意味をなさない。健全な批判や議論のための言葉ではなく、相手の存在を否定するためのレッテルだからだ。
と、ここまで書いたところで既視感にとらわれる。韓国の「従北」に類するフレームは日本にも存在するのではないのか。「北朝鮮」と関わりのある人々に対して、あるいは「北朝鮮」を「擁護」したり「理解」を示したり、自らと異なる「北朝鮮観」を持つ人々に対して果てしない「告白」を強い、「踏み絵」を強いる話法が(「従北」を「反日」に置き換えてもいい)。「あいつは『北の手先』」「あいつも『北の工作員』―。メディアでいえば、韓国では朝鮮日報、日本では産経新聞あたりが先頭に立って「異端審問官」の役割を果たしているのは象徴的だ。
「従北」という魔女狩りの話法そのものを拒否すること―。「従北」の罠から逃れる方法はそれしかない。(相)
Unknown
非常に興味深いです 朝鮮半島と、日本の関係を考えさせられます