日常にある風景 ~沖縄取材記⑤
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初日、那覇の夜に感じた、今まで経験したことのない緊張感をまだ体が覚えている。
国際通り(観光客用に土産物屋や沖縄料理店が立ち並ぶ繁華街)から、一つ小さな道に入ると、とたんに明かりも人通りも少なくなり、体の大きなアメリカ人(米軍人・軍属もしくはその家族と思われる)の集団とすれ違う度に、無意識に体が強張った。 その時は友人が側にいたが、絶対に一人では歩きたくないと思った。
今回は沖縄の生活の中にある様々な風景を、主に写真で伝えたいと思う。
外国人住宅。
ここは沖縄中部の北谷町砂辺馬場地区。沖縄戦で米軍の上陸地点であったこの一帯、現在は外国人住宅街となっている。seaside avenueと書かれた標識があったが、もちろん行政上の名称ではない。
防衛省が毎年発表している沖縄県内の米軍人等の基地内外居住者数の内訳によると、近年連続して、基地外居住数者が増えているという。理由としては、様々あり一概には言えないが、北谷町などで米軍向けの住宅が増えているため、との要因も。
この高級住宅、防音施設が完備されており、米軍関係者らは電気代などの光熱費の負担の心配もなく快適に生活している。その一方で、沖縄の人々は爆音被害に耐えられず、住み慣れた住居を追われるという現実もあるそうだ。
米軍関係車両、通称「Yナンバー」。
Yナンバーの他にAナンバーやEナンバーもある。ちなみにYはYokohamaの頭文字で、Yナンバーが横浜から始まったことに由来するそうだ。
米軍関係車両は自動車税が日本国民の2割に免除されており、ガソリン税も免除。また、公務中の米軍関係車両は、高速道路や有料道路の通行料も免除されるそう。
米軍施政下で設けられたAサイン制度の残滓。
AサインのAはApproved(許可済み)の頭文字で、米軍による公認を受けた店舗に与えられた許可証。制度は1972年4月に廃止されたが、現在でも当時の許可証を店内に掲示している店がある。
これは嘉手納基地周辺の町の風景。
バスや車の中から風景を見ていたら、町によって色んな顔がある。
基地周辺の町は、古い家屋やアルファベットの派手な看板、ウチナーグチと日本語と英語が入り混じっていて煩雑な印象だったし、基地が返還された新都心などは高層ビルが立ち並んでいる。ある人は「返還されたからといって、沖縄が内地(本土)みたいになるのはいやだ」と漏らしていた。
嘉手納基地の入り口ゲート。
沖縄では主にバスを利用していたが、停留所の名前も米軍基地と関連したものが多かった。第一ゲート、第二ゲート等。
仲良く肩を並べる日の丸と星条旗。
滞在期間に最も多く目にした風景は、町を分離する米軍基地のフェンスだった。
基地内の芝生は青々と、隅々まで整備が行き届いており、そこでゴルフを楽しんでいる軍人を見かけたりもした。
どこまでも続く断絶の景色。うんざりするほど長く伸びるあのフェンスが、今も度々思い出され眼前に迫ってくる。(淑)