1年遅れの記念式典
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先月30日(日曜日)、福島朝鮮初中級学校(郡山市)の創立40周年記念式典へ足を運びました。
同校の創立は1971年です。したがって、本来であれば昨年に行うはずだったのですが、3月の東日本大震災と福島第1原子力発電所の爆発事故の影響で延期を余儀なくされました。そして、このたび1年越しの開催にこぎつけたというわけです。
この日の記念式典には同校の児童・生徒、教職員、卒業生、地域同胞ら350人あまりが参加しました。県外からも多くの同胞が駆けつけ、地域の日本人の方々も席をともにしました。
行事のテーマは「輝かせよう40周年、伝えようまごころ(빛내이자40돐, 이어가자 한마음)」。震災直後から福島に多大な支援を寄せた各地の同胞の「まごころ(한마음)」をこれからも伝えようという意味、「40周年+1年(한)」という意味を込めたそうです。
1年遅れではありますが、記念式典を無事行うことができたことに関係者一同、ほっと胸をなでおろしていました。
福島を襲った悪夢のような震災と原発事故からこの日にいたるまでの波乱に満ちた道のりは、ここで改めて言及するまでもないでしょう。この間、福島朝鮮初中級学校の児童・生徒、教員たちは地元を離れ、新潟朝鮮初中級学校に身を寄せました。両校の合同教育の試みは昨年12月まで7ヵ月間に及びました。一方、福島では保護者と地域同胞、青商会メンバーらが学校の除染作業を地道に続けました。その甲斐あってか、校内の放射線数値は年間1ミリシーベルトを大幅に下回っています。
そうして迎えたこのたびの記念式典。実行委員会ではこの間、学校支援を目的とした基金事業を展開し、校舎を補修、スクールバスも購入しました。この日、私もJR郡山駅から学校まで新しいバスに乗せてもらいました。
そして、第2部の公演で子どもたちが着た民族衣装は兵庫県在住のある同胞女性が中心となって立ち上げた「福島の朝鮮学校へチマチョゴリを贈る会」から届けられたものでした。個人でチョゴリをデザイン、製作している彼女の「被災地の子どもたちのために何かしたい」という思いに賛同した有志たちが約半年間かけて作り上げたそうです。
公演には昨年、今年と福島朝鮮初中級学校と合同生活を送った新潟朝鮮初中級学校の子どもたちも友情出演しました。ほかにも、出席者をもてなす料理作りに飲み物販売など、この日もフル回転だった女性同盟とオモニ会、学校に義援金を贈った日本人有志による福島朝鮮学校を支援する会、被災地の朝鮮学校支援を目的にチャリティCDを制作し、売り上げを全額寄付した全国の朝鮮歌舞団―。各々のやり方で学校を支え、励まし、助ける、そんな光景を目にしながら今回の40周年記念行事のテーマについて考えました。
「いま一度困難を乗り越え、学校を守り発展させていこう」というこの日の呼びかけ。もちろん、そう簡単なことではありません。学校を取り巻く現状は依然厳しい。震災後、福島を離れた(あるいは離れざるをえなくなった)同胞たちは少なくありません。今年度の生徒数はわずか12人。
朝鮮学校は地域同胞社会と卒業生のサポートがあってこそ。過疎地域ではとくにそうでしょう。「現実は厳しいが、やるしかない」。具永泰校長の一言が胸に突き刺さりました。(こういう風に書いていますが、私は地元の人々の苦悩や日々の葛藤、喜びや悲しみの何十分の一も知らないのだと思います。)
10月4日からは今年2回目となる福島と新潟両校の合同教育が予定されています。福島のみならず宮城の東北朝鮮初中級学校でも現状打開のための取り組みがさまざまな形で続けられています。今後とも「イオ」では(そして私自身も)被災地の朝鮮学校の姿を伝えていこうと思います。(相)