家族史写真館
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先日、2011年から続いていた「家族史写真館」の最後の取材が終わった。
この連載は植民地支配の中で故郷を離れ、異郷暮らしを余儀なくされた1世が、貧しい暮らしの中でも、家族を食べさせるため、同胞社会の幸せのために、どんな人生を歩んできたかを、1世、2世、3世の目線で語ってもらうものだった。
取材の過程で出会った朴鳳礼さんの顔は今でも目に浮かぶ。5歳のときに、たった一人で日本に渡って来た後、子守りや使用人の仕事を続けながら、東京大空襲の時は生死をさまよった朴さん。「私みたいに苦労した人はいないよ」と笑いながらも、一人息子と娘のような嫁、孫たちが自分を大切にしてくれる「今が一番幸せ」と話す姿に、苦労が報われて本当に良かったと感じた。朴さん、いただいたコーヒー、今も美味しくいただいています。
創氏改名をさせられた時の屈辱や、徴兵通知が届いた時の緊迫感を代弁して書いたつもりが、「この時代の空気はそんな甘いものではなかった」と指摘され、原稿を大きく書き直したこともあった。「わかっているつもりになっていた」自分に気付けたのも、一世の方々が感情をぶつけてくれたおかげだ。
辛かったのは、「私の話など誰も信じてくれない」と取材を拒否されたこと。その女性は、「日本に渡ってきてから受けた差別は言葉で言い尽くせない」「家族に話しても信じてもらえなかった」と悔しさをぶつけていた。
人を探す中で、1世のアボジ、オモニの写真は亡くなった後に処分してしまった、どこにあるかわからないという声も多かった。中には「人に話すほど気持ちが整理されてない」という方もいらした。
同胞社会を見渡すと、1世にあたるアボジ、オモニ、ハラボジ、ハルモニが、いつ、どうやって日本に渡ってきたのか、どのように今の生活を築いたのかを知らない方も多い。私自身も、4世の子どもたちに語れるほど、しっかりわかっていない。
中には先代からきちんと話を聞いて、一冊の本にまとめて一族で共有している家族もいらっしゃる。同胞社会の中で家族史の収集がもっと進めば、私たちの歴史はもっと大きなスケールを持って立ち上がってくるのではないか。
来年は、また違う形で1世の足跡を辿る新連載を始めるが、とにかく集められる証言は集め続けていきたい。(瑛)