孤独なたたかいにしてはいけない
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先週のエントリでも書いた、愛知と大阪における「高校無償化」関連の訴訟。1月24日、愛知では愛知朝鮮中高級学校の在校生と卒業生が原告となり、「高校無償化」制度からの排除によって就学支援金が受給できず精神的苦痛を受けたことに対する国家賠償請求訴訟を、大阪では学校法人大阪朝鮮学園が、「高校無償化法」の規定にもとづき朝鮮学校を適用対象に指定することを求める行政訴訟をそれぞれ名古屋地方裁判所と大阪地方裁判所に対して起こしました。
この間、名古屋に滞在しながら、24日の提訴および記者会見の取材に加え、原告とその家族、学校関係者、地域同胞たちの声も聞くことができました。
これら周辺取材の過程で感じたこと、それは現場が相当な危機感を持って今回の事態を受け止めているということです。民主党政権から自民党政権に変わったとはいえ、政府自らが作成した適用基準を逸脱した理由を持ち出し、さらに適用基準を改悪することで朝鮮学校を狙い撃ちにして排除しようとすることは弾圧以外の何物でもありません。日本政府が朝鮮高級学校を「高校無償化・就学支援金制度」から除外する方針を発表して以降、地方自治体でも朝鮮学校に対する補助金支給を打ち切る動きが広がっています。総聯のある活動家は、「事態は朝鮮学校に対する『バッシング』から『パージ』へとエスカレートしている。今後、『国民の理解』の名の下に、学校に対する認可取り消しといった段階にまで進むおそれもある」と話していました。問題は就学支援金の支給だけにとどまるものではなく、今まで獲得してきた諸権利を守れるかどうかに関わる問題だという認識です。
そして、原告の言葉の端々からは彼らなりの強い覚悟を感じ取ることができました。法廷に立つ重圧、長く続くであろう裁判に臨む心理的・肉体的負担は相当なものです。彼らを一番近くでサポートする家族の負担も小さくありません。本来であれば経験しなくてもいいはずの「試練」を与えることになったことを、自分を含め周囲の人々は重く受け止めるべきだと思います(これに関してもっとも責任を負うべきは日本政府であることは言うまでもありませんが)。ここでは詳しく書けませんが、国賠訴訟を提起するまでには内部でさまざまな議論、そして葛藤があったといいます。「まことに不本意だが、この不正義をただすためのやむにやまれぬ決断だった」と関係者の1人は語っていました。
「たたかいを原告だけに任せるわけにはいかない。大切なのは、彼らのたたかいを孤独なものにさせずに、この問題に携わるみなが原告なのだという気持ちで取り組むこと」という、ある同胞の言葉はまさにその通りだと思います。