さんねんとうげ
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先日の日曜日、楽しみにしていたハッキョの学芸会があった。
学校から届いたパンフレットには、2年生はお話とリズム遊び「三年峠」をするとのこと。家では「秘密」だと話さないので、イメージは白紙だ。
「三年峠」は日本の学校で国語の教科書にも載っている朝鮮の昔話で、李錦玉さんと朴民宜さんの絵本は大好きな一冊だ。
このお話は、三年峠で転んだら3年しか生きられないという言い伝えを信じたおじいさんが、実際転んでしまい、「先は長くない」と悲しむのだが、そこに現れたのが村の若者トルトリ。一回転んで3年生きられるのなら、何度でも転べばいいと「一休さん」さながらのトンチを働かせて、ハラボジは何度も転んで長生きしたという楽しいお話だ。
時にハラボジ、時にハルモニ、時にトルトリ…。子どもたちは交互にセリフを継ぎながら、木琴、プクで、バックミュージックを奏で、効果音も出しながら舞台を作り上げていた。2年生は4人しかいないが、人数を感じさせない舞台だった。華やかな舞台背景、テンポのあるメロディーもよかったし、何よりちびっ子たちが役になりきり、互いの呼吸を合わせながら物語を作り上げている姿に1年の成長を感じた。体の成長は目に見えるが、心の成長を感じる場面はそう多く訪れない。
ウリハッキョに入って2年。
最近は日記など、文章を書く宿題が増え、頭を抱えているが、それはそうだと思う。朝鮮語を「聞く、読む、話す、書く」ことをマスターするには道は遠いのだ。
学芸会の司会は朝鮮語と日本語で行われ、朝鮮の歌は朝鮮半島の南北、在日同胞オリジナルのものから日本や外国の歌とさまざまだった。なかでも私は元教員が作った校歌が好きで、幼稚園児から春には中学にあがる6年生たちが一斉に歌う合唱が始まると毎回涙腺が緩んでしまう。
帰りのバスでいつもハッキョを見守ってくれる市議会議員と隣り合わせになった。元教員だった彼女は、「朝鮮学校は先生と子どもたちの距離が近いのよね。互いに信頼し合えなかったらあの舞台は作れないわよ。私は子どもを教えてたからわかる」と誉めてくれた。司会のセリフを失敗して落ち込んでいた息子は、お褒めの言葉に目もくれず、失礼をする形になったが、国から差別されているこの大変な時代に、傍で支援してくれる日本市民の存在に救われる思いだった。「校長先生に英語を教えてほしいって言われたの。だけど自信なくってね」。隣に座った友人の女性の言葉もうれしかった。
この言葉も、子どもたちの舞台が届けてくれたプレゼント。忘れないでおこう。(瑛)