朝鮮学校は「反社会的存在」なのか
広告
既報のように、文部科学省が20日、関連省令を改悪し、朝鮮高級学校を「高校無償化」制度から完全に除外することを決めた。同日、その決定が各朝鮮高級学校関係者に通達されたという。
同時に、昨年末から今年1月末まで募集されたパブリックコメントの結果も発表された。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=185000617&Mode=2
ぜひ目を通していただきたい。国が公然と差別を行うということを正当化した文書として一見の価値はある。自らの主張を通すためなら、国家権力はこれほどの支離滅裂な文書をためらいもなく作成、公表できるのか。ある意味、感心してしまった。
このたびの省令改悪、制度からの排除によって朝鮮学校は、北朝鮮=朝鮮総聯=朝鮮学校=悪という等式と「国民の理解が得られない」というロジックの下、公的な保護に値しない「反社会的存在」としてらく印を押されたのだ。
全国朝鮮高級学校校長会、全国朝鮮学校オモニ会連絡会、全国朝鮮高級学校学生連絡会、学校法人朝鮮学園の代表らが記者会見を行った。
http://chosonsinbo.com/jp/2013/02/il-113/
席上、東京朝鮮中高級学校高級部2年の李祥庸さんは、「僕たちにとってこの問題は、単なる支援金の問題ではない。日本社会がわれわれの存在を認めるかどうかの問題だと思っている」と語った。朝鮮学校に通う子どもたちにとって、このたびの公権力による一連の仕打ちは、自己の存在を否定されているのと同じなのだ。
日本の朝鮮学校政策は1965年の文部事務次官通達、いや48年の学校教育局長通達の頃から本質的に変わっていない。ここ数日の朝鮮学校への日本政府および地方自治体の対応を見ながらあらためて思った。
この3年間を振り返りながら何ともやりきれない、悔しい思いにとらわれる。「絶望している暇などない」―。先日、酒席をともにした、ある大先輩の言葉が今の自分を支えているのかもしれない。
Unknown
小生は朝鮮学校を反社会的存在とは思っていませんがそもそも反社会的存在なら差別されていい訳ではないでしょう。
例えばヤクザならそれだけで差別していいのか?。ヤクザ相手なら何をしても許されるのか?。そんなわけがないでしょう。
反社会的を理由に差別が許されると思ってる人がいるなら、根本から人権に対する理解が間違っています。