話し合う場
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ある地域で行われた「在日の想いに語る会」に足を運んでみた。
以前、8歳の息子が近所の公園で同じ年の日本の子どもに「帰れ」と言われた後、自分の中で割り切れないものが渦巻いていたからだ。(言った子どもは言われた側の傷をわかっていないだろう、親が家でそういうことを言っているのかな)とも推測してみたが、相手の顔が見えないので堂々めぐり。けれど近所で、小学生同士でこんな会話が行きかうのは嫌だ。「これから」を考えるうえで何か手がかりを探りたかった。
会のテーマは、マスメディアの報道の影響を受け、その「葛藤」の中にいる多様な子どもたちに、学校、地域、家庭がどう寄り添えばいいのかがテーマだった。寸劇が発表された後、一枚のメモが配られた。
…小学校5年の社会の授業中の出来事です。「工業生産を支える人々」の学習をしています。自動車の作りや工場の流れについて勉強していました。教師が「この部品はどこの国で作られているでしょう」と質問しました。子どもたちからいろいろな国があがりました。Aが「中国だと思います。日本は中国から輸入しているものが多いと聞いたことがあるからです」と答えました。すると、Bが、「中国かよ、あの日本の島を横取りしようとしてる国だろ」といいました。すぐにCがその言葉を聞いて、「それ、ニュースで見たことがある、おれも嫌いな国だよ」と言いました……
このメモをどう思ったかをテーマにグループに分かれて意見交換が始まった。私が入ったグループは小学校と中学校の日本の先生方が4名。他に保育士さん、中国から日本に留学した女性で、彼女は公立の小学校に子どもを通わせているという。
思い切って自身の体験を話してみると、「この地域では、そのようなことはありませんね、朝鮮学校とも定期的に交流していますし、総合学習の時間にフィリピンの料理を作ったり、日本の子どもたちもソゴ(小太鼓)を楽しむんですよ」と先生たち。コリアン、中国、ブラジルの子どもたちが多い地域とあって、それぞれの文化を楽しむ教育実践が盛んな様子が伺われた。
メモに「島を横取りする」とあったので、小学生に領土問題をどう教えるているのかも聞いてみた。小学校5年の担任をしているという男性は「自分自身もきちんとわかっていないので、教えられないですね」。「ある程度大きくならないと理解できないことだものね」と中国出身の女性。日本の学校では中国や韓国、朝鮮に比べて近代史を学ぶ時間数が圧倒的に足りないことにも話は及んでいった。コリアンの同僚に参政権がなかったことも今回の総選挙で初めて知ったという日本人教員の話もあった。
洪水のように流れるマスメディアのなかで、その影響を受けながら子どもたちは日々育っている。
最後に、娘が10年前に暴言をはかれたという女性が、「子どもたちはテレビの言葉を聞きながら、自分の身近にいる外国を感じている。悪口を言われる国があれば、傍でドキドキしている子どもがいる」と発言。この言葉に、私たちが知らない多くの家庭に、学校に、道端に、子どもたちの押し殺された声が散らばっている気がした。
国と個人を短絡的に重ね合わせ、思考が止まることからモノを考えなくなる現実がある。私もその一人。会は、学校、家庭、地域の力で「子どもの育ちを見守ろう」と市民団体がねばりづよく続けてきた。この日の集まりのように、国籍や民族をこえて、話し合える「場」があってこそ、何かが少しずつ動いていく気がした。(瑛)