「解放運動無名戦士の墓」を訪ねて
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数日前、東京港区の青山霊園に足を運んだ。
同霊園の一角に建つ「解放運動無名戦士の墓」を訪ねるためだ。
この墓は1935年3月28日に建立された。墓の説明によると、戦前、社会の進歩と革新、平和と民主主義を守るたたかいの中で命を落とした人たちが、ここに合葬されているという。当時、墓地に葬られることのない多数遺骨があった。紡績労働者であった細井和喜蔵もその一人。その遺骨を預かった友人たちが呼びかけ、彼の遺作である「女工哀史」「工場」「奴隷」などの印税によってこの墓を建てたのだという。
毎年3月18日には「解放運動無名戦士合葬追悼会」が催され、社会進歩と革新、平和と民主主義を守るたたかいの途上で亡くなった人びとを「解放運動無名戦士墓」に合葬し、故人の業績を讃え、その遺志を受け継ぐことを誓っている。3月18日はパリ・コンミューンの記念日(1871年)だ。
現在、墓は日本国民救援会によって管理されている。第2次世界大戦後、碑銘の「無名戦士墓」の上に「解放運動」の文字が書き加えられた。
墓には、1948年の4.24教育闘争で警官隊の銃弾に当たって犠牲となった金太一少年をはじめ11人の在日朝鮮人も祀られている。
墓は霊園の東の端にひっそりと建っている。向かって右側には道路が走っていて、車の往来は慌しい。事前に場所を確かめないと気づかないほどだ。
4.24教育闘争から今年で65年。なぜ起こったのか、あのとき何があったのか、同胞たちはどのようにたたかったのか、たたかいがその後の在日朝鮮人運動に与えた影響は何だったのか、真相究明の取り組みは有志の手によっていまだ続いている。