「らしさ」ってなんだろう
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先日、友達が私のブログを読んで「卒業して(理)らしさに触れあえてないから久々の(理)の感じにほっこり♡」というメッセージを送ってくれました。嬉しさを感じつつ、文章のどの部分に自分らしさが出せたかな…と少し意識してしまいました。自分では「らしさ」の7割も出せてなかったような気がするのですが。
「らしさ」を出し切れていないといえば、先日編集部の先輩方が歓迎会を開いてくれました。私はとても楽しく参加したのですが、まだまだ緊張して結構大人しくしてしまいました(決して猫をかぶっているわけではありません。…しかし気になって「猫をかぶる」の意味を調べてみたところ、「本性を隠して大人しそうに振る舞う」とありました。意図的じゃないという点で、私は紙一重で違います。ほっ)。仲の良い先輩方の姿を見ながら、私ももっと自分らしさを出せるように肩の力を抜くことも必要かな、と思いました(仕事は頑張ります)。
イオ編集部には映画好きが多くて、歓迎会の時も最近見た映画の感想や好きな映画の話で盛り上がりました。私ももともと映画好きですが、一人暮らしを始めてからDVDを借りて映画を観ることが以前よりも多くなった気がします。先日は「クライマーズハイ」という作品を観ました。日航機墜落事件と、それを追う地方新聞記者の姿を描いた作品です。上司との軋轢やどうしようもならない現実に、時に激情しながら、時に失望しながらも奮闘する主人公がとても印象的でした。事件をひとつの「出来事」としてではなく、「人間」として見ること。地元の人々が本当に求めるもの――人の「生」――を伝えようとする主人公の姿が頭から離れません(個人的に主演の堤真一が好きということもあります)。
ここ最近、イオブログでも何度も取り上げられましたが、町田市教育委員会の西東京朝鮮第2初中級学校に対する一連の言動が、同市にとどまらず大きな問題になりました。私もネットで関連ニュースを探してみたのですが、やはりどこも、この問題をひとつの「出来事」としてしか報道していません(一部、「差別はされて当たり前」という主観・偏見介入しまくりの記事はありましたが)。こういった問題の本質と、なによりも当事者の気持ちをしっかりと伝えることができ、また伝えなくてはならないのは自分たちなのだと強く思いました。
ふと、高3の時の進路面談で朝大の先生に言われたことを思い出しました。
「同じ出来事を見て記事を書くにしても、君より上手い文章を書く日本人はいくらでもいるよ。だから君は朝鮮人として、その人たちには書けない内容をもって君だけの主張をしなければいけない。文章になにを込めるか、そこに君だけが書ける記事が生まれる。今は朝鮮人としての気持ちとか、民族心をもっと豊かに養うことが必要じゃないか――」この言葉を聞いて私は、第1希望を外国語学部の日本語科から、文学歴史学部の朝鮮語文科に変えました。「うまいこと言いくるめられたね」なんて言う友達もいましたが、私はその先生に感謝しています(ツンデレなので本人には言っていません)。
長くなってしまいましたが、どんな時でも「自分らしさ」を持つのが大事だということで。とりあえずは今月の27日、嬉しいメッセージを送ってくれた友達と久しぶりに会う時は「(理)らしさ」ハイパーマックスで再会を盛り上げたいと思います。(理)