出発の4.24
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無償化排除が長引くにつれ、「4.24」を思い起こすようになった。
私にとって「4.24教育闘争」は、在日朝鮮人の民族教育の権利を実現するため、昼夜をたがわず奔走していた人々の姿と重なっている。
駆け出しの記者だった1990年代、民族学校への補助金が充実しつつあった大阪によく通った。「維新の会」が勢いを増した現在の大阪では考えられないが、当時の府議会議員や自治体職員の中には、外国人の教育を応援しなければならないと教育現場を積極的に見学し、在日コリアンの保護者に耳を傾ける実直な人たちがいた。彼らが朝鮮学校のために頭をひねり、限られた法制度の中でどのような支援が可能なのかを真剣に模索していたのも、ウリハッキョに学ぶ子どもたちの姿、保護者の訴えに自分なりの責任を感じていたからだったと思う。
当時、大阪の同胞社会では大阪府や大阪市に補助金の増額を求める要請が活発で、大小の勉強会がよく開かれていた。同胞たちの権利意識も高かった。「4.24教育闘争」50周年を刻むシンポジウムには、同胞や日本市民が集い、今日に続く朝鮮学校弾圧の出発に「4.24」があったこと、また、弾圧をはねのけ青空の下で、日本学校の片隅で民族教育を続けた「闘いの出発点」であった「4.24」を胸に刻んでいた。私自身もそれらの取材を通じて、半世紀前の「4.24」が自分につながっていく体験をしていたように思う。
「4.24」50周年の特集を組んだのが15年前になる。当時、東神戸消費組合配給係だった兵庫県在住の崔昌右さん(80)は、「4.24」後、東神戸朝鮮初級学校(当時)の敷地を確保するため、1年8ヵ月の間、神戸市当局に164回抗議を重ねた結果、ついに土地を確保した兵庫の輝かしい歴史を教えてくれた。
「当時の同胞たちにとって、学校を守ることは命を守ることと同じだった」―。
今は亡き崔さんのこの言葉を読み返しながら、今、私たちにこの「覚悟」があるのだろうかと問うてみる。
無償化排除から3年。今日、日本各地のオモニたちが文部科学省に「平和のトゥルミ(鶴)」を届け、差別撤廃を訴える。オモニたちの歩みに心を重ねながら、65年目の「4.24」を心に刻みたい。(瑛)