4.24教育闘争と「主権回復式典」
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1週間前の水曜日は4月24日で、4.24教育闘争の記念日だった。私はこのブログ「日刊イオ」の水曜日担当なので(知ってましたか?)、ブログをアップした後、東京都港区の青山霊園にある「解放運動無名戦士の墓」を訪ねた。
「解放運動無名戦士の墓」には、1948年の4.24教育闘争で警官隊の銃弾に当たって犠牲となった金太一少年をはじめ11人の在日朝鮮人が祀られいる。4.24教育闘争から65年に当たるその日、4.24教育闘争に思いをはせる集いが「解放運動無名戦士の墓」の前で行われた。
この集まりは、ブログ「トンポ・トンネ日々イモジョモ」(http://blogs.yahoo.co.jp/uil21)を発信しておられる金日宇さんの発案によるもので、フェイスブックなどで呼びかけられた。当日10時に最寄の乃木坂駅に着くと、すでに20人以上の人たちが集まっていた。
みんなで、墓地まで歩き、10時過ぎから集会がもたれた。当時、阪神地域で小学生時代を過ごし実際に闘争を体験された方も何人か参加されていて、貴重なお話を聞くことができた。また、「4.24の歌」も歌われた。
何人かが前に出て発言したが、みんなが、今の朝鮮学校を取り巻く厳しい状況、日本政府による弾圧について言及し、4.24教育闘争が今も続いていることを強調していた。1時間にも満たない集まりだったが、非常に有意義な時間を過ごすことができた。この集まりを契機にして、毎年、心ある人たちで集まりをもてばどうかという提案もなされた。
集まりの模様は、金日宇さんが資料集としてまとめることとなっている。ぜひ手にとってほしい。
その日から4日後の4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した日に合わせ、東京で日本政府主催による「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が催された。安倍首相の主導により行われたものだという。報道を見ると、安倍首相はあいさつで、7年の占領期を「わが国の長い歴史に訪れた、初めての、そして最も深い断絶であり試練だった」と振り返っていた。
なぜ日本は連合軍(米軍)の占領を受けなければならなかったのか。この言葉には、日本が他国を侵略し朝鮮を植民地支配したことに対する反省がないし、憲法を改悪して国軍を作り再び「戦争のできる国」にしようという安倍首相の切なる思いが明確に表れている。また、米軍のトモダチ作戦を持ち出し、「熾烈に戦った者同士が心の通い合う関係になった例は古来、まれだ」と語った。沖縄などに配慮するポーズのためのフレーズを挿入しながら、傷口に塩を塗りつけるようなことを言う。
さらに、式典の最後のほうではおぞましい光景が繰り広げられたようである。
サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日は、朝鮮人にとっても重要な意味を持つ日だ。この日、朝鮮人は「日本国籍を喪失した」とされている。改めて資料を当たってみると、1952年4月19日付民事甲第438号法務府民事局長通達(「平和条約の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」)で次のように述べられている。
「朝鮮及び台湾は、条約の発効の日から日本国の領土から分離することとなるので、これに伴い、朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者も含めてすべて、日本の国籍を喪失する。」
すなわち日本政府は、敗戦した後も52年4月28日まで、朝鮮と台湾を自分たちの領土だと考えていたわけであり、朝鮮に居住している朝鮮人も日本に居住している朝鮮人も「日本国籍」を有しているとしていたわけである。
植民地支配することによって朝鮮人を無理やり「日本人」にし、朝鮮が独立したあとも「日本人」だとし続けた日本。「日本人」だといってもまったく日本人とは同じ処遇を与えられず、差別され弾圧され、形だけの「日本人」だった。そのことを横に置いておくとしても、解放を勝ち取った朝鮮が日本の領土だというバカげた考えを押し付けられるいわれも、解放された朝鮮人が植民地支配の残滓である「日本国籍」を押し付けられるいわれもまったくない。
このことだけを見ても、日本の支配の論理・意識が敗戦後もまったく変わっていないことをよく物語っていると思う。そしてそれは今もまったく同じだ。
現在、毎年多くの在日朝鮮人が日本国籍を取得している。その理由の一つは、「朝鮮・韓国」籍では生活するうえで非常に不利な状況にあるからだ。特に朝鮮籍者や朝鮮に関わる者たちに対する日本政府の差別政策は、日本が狂気の国になったことを示している。
安倍首相のあいさつのくだりで、「沖縄などに配慮するポーズのためのフレーズを挿入しながら」と書いたが、朝鮮に対する植民地支配に対し反省も謝罪もせず、今も朝鮮を敵対し在日朝鮮人を取り締まりや管理の対象としか見ていない日本の首相のあいさつのなかには、当然、サンフランシスコ講和条約と朝鮮の関係について一言も出てこない。(k)