「女性手帳」について考える
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政府が少子化対策として検討してきた「生命と女性の手帳」(仮称)、通称「女性手帳」の配布が物議を醸したが、「個人の生き方の問題に国が介入すべきでない」などと批判が相次ぎ、政府は事実上これを撤回した。この女性手帳、何が問題なのか、少し考えてみたい。
女性手帳は、少子化対策を検討している内閣府の有識者会議が提案したもので、若い女性を中心に、妊娠・出産にまつわる知識を広め、晩婚化に歯止めをかけるのが目的。30代後半になると一般的に女性は妊娠しにくくなるといった医学的知識を盛り込むほか、個人の健康記録欄も設け、中学1年で子宮頸がんワクチンの予防接種を受ける時などに女性に配ることを想定していた。
まず、配布対象を女性に限定するのはおかしな話で、確かに子どもを産むのは女性にしかできないことだが、女性一人では妊娠も出産もできない。妊娠・出産・子育ては男女共有の問題だ。
そして、産婦人科や助産師の不足といった医療現場の現状、待機児童の問題や社会活動の制限など女性にのしかかる子育ての負担の問題、さらに婚外子への差別の問題やシングルマザーの精神的・経済的負担など、山積する問題を棚に上げて、女性を「啓発」して出生率をあげようという女性手帳の発想から見えてくるのは、権力者の思想でしかない。
また、様々な理由から非婚や不妊の人、出産を望まない人もいる。そして同性愛者やセクシュアル・マイノリティなどの存在はどうなるのか。女性手帳は極めてヘテロ・セクシュアル(異性愛)中心主義的で、同性愛者やセクシュアル・マイノリティへの差別や偏見の助長につながるともいえる。
私自身は20代後半にさしかかり、最近は妊娠適齢期や高齢出産のリスクをことさらに強調され、結婚を催促されることがままある。その度に強烈な違和感と不快感を感じている。このような「お節介」は言う側は無意識で、一人ひとりの妊娠・出産の意思や人生設計、生き方の問題を完全に度外視し、自己決定権を侵害していることに気付いていない。言われた側にとってはほとんど強迫観念と言ってもいい。女性手帳もこれと同じだ。
妊娠・出産を希望する女性が安心して出産・子育てできるよう環境づくりや、なによりも社会的構造、ジェンダー規範の抜本的な改善に取り組むことが先決ではないか。
出産をめぐっては2007年に、柳澤伯夫厚生労働相(当時)が女性を産む機械に例え批判を浴びた。厚労相の失言しかり女性手帳しかり、第二次世界大戦中、植民地拡大を背景にして兵力増強のため掲げた「産めよ増やせよ」の政策を想起させる。
そしてこのようなジェンダー・バイアス、権力者による性の専横は、「慰安婦制度は必要だった」とした橋下氏の妄言と根を同じくするものである。(淑)