記憶に残るお隣さん
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最近お隣さんに初めてバッタリ会いました。
いまの時代は何があるかわからないので、引越しのたびにお隣さんに挨拶することもしなくなり、
隣にどんな人が住んでいるかなかなかわかりません。
今回は私が昔お世話になったお隣さんのことを話そうと思います。
私がこども時代を過ごした家はパチンコの2階という
毎日パチンコの玉のジャラジャラ音が聞こえる家に住んでいました。
まわりはのどかな田んぼがひろがっていて、ご近所さんには家が数軒。
そのなかにナガオカのおばちゃんがおじちゃんと住んでいました。
ナガオカのおばちゃんは時々わたしの家にお掃除にきてくれてました。
ウチは母も車で数十分いったところへ働きにでていたので、
おばちゃんが本当に時々そうやってきてくれていたのだと思います。
おばちゃんの家には色とりどりの花が丹精こめて育てられた
きれいな庭があって、よく姉とともに遊びにいってました。
いきなり遊びにいっても、いやな顔ひとつせず出迎えてくれて
おばちゃんお手製のおいしい漬物がでてきたりして、子供ながらにあっという間に平らげてました。
「本当に(愛)ちゃんたちは漬物が好きね~」とにこにこ笑いながらだしてくれたのを覚えています。
わたしが初めて他のおうちにお泊りしたのもナガオカのおばちゃんの家でした。
幼少時は母にべったりくっついて離れなかった私でも、
ナガオカのおばちゃんなら大丈夫!と思ったのでしょう。
その夜は、おばちゃんが私が退屈しないようにと、簡単な編み物まで教えてくれました。
子供ながらに一本の糸から布ができるのが楽しくて、熱中しながら編みました。
(後にも先にも編み物に熱中したのはこの時だけです笑)
おばちゃんと一緒に暮らしていたおじちゃんとはなかなか話すことができませんでしたが。
ナガオカのおばちゃんは子供の私にとっては、とても近しい存在でした。
記憶のなかには、水をまいてキラキラ光るきれいな庭とニコニコ笑うおばちゃんと、おいしい漬物。
姉と一緒に庭先で思う存分遊ばせてもらってました。
本当に実の孫のように接してくれてたように思います。
しかし、わたしが小学3年生位に引越しをしてしまったので、おばちゃんとはそれっきりになってしまいました。
大人になってから、おばちゃんのことを思い出して、ある日母におばちゃんのことを尋ねると、
すでになくなったということでした。
もうおばちゃんの顔もぼんやりとしか思い出せませんが、
いまになって思うと、在日朝鮮人である私たちきょうだいを
分け隔てなくかわいがってくれたお隣さんだったんだな~と実感します。
幼少時を楽しく過ごさせてくれて、彩りをそえてくれたおばちゃんに、今頃ながらに感謝しています。
わが子も、そんな素敵なお隣さんに出会えればいいなと思うこのごろです。(愛)