友人の息子を抱きながら
広告
先日、第一子を出産したばかりの友人宅へ生後1ヶ月の愛息子に会いに行ってきました。
高校、大学と学生時代をともに過ごし、社会人になってからも職場こそ違えど同じ総聯の一活動家として多くの時間や経験を身近で共有してきた友人だけに、かのじょが母親業をこなす光景に最初はなかなか馴染めませんでした。
友人らと交互に赤ちゃんを抱っこであやしながら、私が冗談混じりに「愛国歌」や「遊撃隊行進曲」「海岸砲兵の歌」なんかを子守唄として歌っていたら、友人の一人がこんなことを言っていました。
「1世たちも私たちを抱きながら、この子たちが大きくなる頃にはきっといい時代が来ると思ってこんな曲たちを歌っていたんだろうね」と。
お知らせしたとおり、8月号の特集は「コヒャン」がテーマとなっています。
特集と関連して今回ある1世の方に故郷の話を取材しました。
この仕事を始めてから、諸先輩方には遠く及びませんが、これまで数名の1世の話を聞きました。
1世といえども家柄や郷里での暮らし、渡日の経緯、戦後の歩みなどは千差万別。ですが1世を取材して(飽くまで私が出会った方々に限ってですが)共通して感じることは、1世らにとって故郷とは抽象的な観念とは違う、具体的な景色であり匂いや音、そこに暮らした人々そのものであるということです。
言うまでもなく多くの1世たちが他界し、数少ない1世もご高齢でお話を聞くことが困難な人もたくさんいらっしゃいます。1世を取材するたびに、一人でも多くの在日朝鮮人1世の個人史を残していかなければならないと痛感させられます。
そのような状況下で、1世らの記憶を受け継ぎ、1世らとはまた違った激動の時代を生きてきた在日朝鮮人2世らの多様な生を記録する取り組みも、在日同胞社会において進められなければならないと感じています。(淑)