いつか故郷に
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「朝鮮半島は飛行機で2時間もあれば着く」ことを初めて実感できたのは2002年9月、取材で訪れたソウルの旅でした。新幹線で名古屋に行くほどの「近さ」なことに驚きを覚えながら、「今さらそのことに気づく?」との思いが交差。それもそのはず、朝鮮半島の北半部には船旅でしか行ったこともなかったし、朝鮮半島への飛行機での旅はその時が初めてだったからです。総聯メディアの韓国への取材も2000年の6・15共同宣言後、初めて開かれたようなものでした。
ウリハッキョでは初級部3年から「社会」「理科」の二つの科目を新たに習いだしますが、「社会」には、1世がなぜ日本に渡ってきたのか、を学ぶ単元があります。
つい最近、学校から「どうしてチュンジョハラボジ(曽祖父)やハルモニは日本に渡ってきたのか」を調べる宿題が出されていました。私は自分が知る限りのことを伝えましたが、3年生の息子は「宿題をこなす」程度しか、興味がないようでした。1世を間近で見てきた者として、一抹の寂しさはありましたが、いつか「聞きたい、もっと知りたい」と思えるように、こちらもきちんとまとめておこうと、気持ちを切り替えました。
20代の頃、横浜市・鶴見に暮らす日系ブラジル人の子どもの取材をしたとき、興味深い話を聞きました。彼らの多くは植民地支配時にブラジルへ移住し、沖縄出身者が多かったと言います。その子孫である子どもたちは3代目。ブラジルで育った彼らだけに、日本語が不自由で学校に馴染めない子もいる。そのような子どもたちを見ながら、ある日本人教員が企画したのが、祖父母が来た道をたどる「沖縄への船旅」でした。在日同胞の中にも、祖父母が渡ってきた道を実感したいと、と船旅を選ばれる方もいますね。
今日、刷り上がったイオ8月号の特集は「私たちの故郷」。
在日同胞の異郷暮らしは4代、5代を重ねていますが、いつか自分のルーツを辿る旅をして、「故郷」を感じてみたい、と自由のきかない今だからこそ、感じます。そして、いつか子どもたちを連れて、朝鮮半島の北にも南にも行き、本来の母語であった朝鮮語で自由に話してみたい。
そもそも、北、南と分けて考える必要のない時代を引き寄せていきたい。特集に登場した人たちにも同様の思いが流れている気がします。(瑛)
答え
問:「どうしてチュンジョハラボジ(曽祖父)やハルモニは日本に渡ってきたのか」
答:「日帝に強制連行されたから!」