常泉寺に建つ朝鮮人虐殺犠牲者の墓
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関東大震災(1923年9月1日)で大勢の朝鮮人が虐殺されてから今年で90年。9月1日を前後して東京、千葉、埼玉、神奈川など関東の各地でさまざまな慰霊、追悼行事が催されました。
私も先日、取材のため、さいたま市内で催された追悼会に足を運びました。
追悼会が執り行われたのは、見沼区染谷にある常泉寺というお寺。日・朝の市民ら60人あまりが出席しました。
この寺の近くで震災直後の9月4日、東京方面から難を逃れてきた当時24歳の在日朝鮮人・姜大興さんが竹槍、日本刀、こん棒などで武装した日本人自警団員らによって殺されています(当時の地名は片柳村染谷)。寺には、事件直後に地元の人々によって建てられた姜さんの墓と、2001年に新たに建てられた慰霊碑があります。関東大震災時の朝鮮人虐殺では名前すら明らかでない犠牲者は多く、姜さんは数少ない名前の判明している虐殺犠牲者の一人だということです。
これがそのお墓と慰霊碑です。古いお墓の前に新しい慰霊碑が建っているのがわかるでしょうか。
参列者たちは墓碑の前で焼香を行いました。
続いて本堂で、埼玉歴史教育者協議会の関原正裕さんによる講演「関東大震災における埼玉の朝鮮人虐殺」が行われました。
埼玉では70年代から民間の手によって真相究明や追悼の営みが進められてきました。常泉寺での追悼会は07年から毎年催されているものです。90周年という節目の今回は例年より多くの人々が集ったとのこと。
今日に至るまで日本政府から朝鮮人虐殺の調査結果は発表されていません。1923年12月15日、ときの内閣総理大臣・山本権兵衛は関東大震災時の朝鮮人虐殺について国会で次のように答弁しています。
「…政府は起こりました事柄に就いて目下取り調べ進行中でござります。最後に至りましてその事柄を当議場に愬える時もござりましょう。本日はまだその時にあらざるものと御承知願います。」
虐殺についての国家責任を政府が認めず、隠蔽してきた中で、困難な真相究明の取り組みを担ってきたのは学者や研究者、そして地域の一般市民有志たちでした。国家責任のみならず、虐殺に加担した民衆の責任についても曖昧にされたまま90年が過ぎたいま、歴史修正主義に染まった政治家があふれ、路上では「朝鮮人死ね、殺せ」と叫ぶ差別、排外主義の輩が跋扈しています。もはやかつてのようなことは絶対に起きないと誰が言えるでしょうか。
関東大震災90周年を迎えた今なすべきこととは、犠牲者を追悼することだけでなく、虐殺の責任を明確にし、事実を後世に伝えることで、二度とこのようなことを起こさないという意志を明らかにすることだと思います。(相)
Unknown
埼玉では虐殺事件が発生したゆかりの地に慰霊碑などが残され、東京や神奈川に比べるとその地域の「虐殺の地」としての歴史的一面を知るのにたいへん役立つように思えます(当方がよく知らないだけかもしれませんが)。
個人的には、埼玉での虐殺事件といえば「本庄事件」がすぐ思い浮かびます。
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data7/data7-4.html
この証言内容はあまりに凄惨かつ非人道的であり、初めて読んで以来いまだに頭から離れることがありません。レイシストたちがデモで「朝鮮人を殺せ!」と叫ぶたび、思い浮かぶのはこの証言の光景です。
「嫌韓発言」があらゆる方面でなされている現状で、今後万一大災害が発生したとき「本庄事件の再来」のような事態が間違っても起きないよう、当局が在日コリアンの保護にしかるべき対応を取ることを求めたいと思います。