朝鮮人虐殺から90年の現在は
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昨日のブログでも書かれていましたが、今年関東大震災から90年という節目を迎え、関東をはじめ日本各地で同胞や日本の市民団体などが主体となったさまざまな取り組みが行われています。私もこの間いくつか取材させていただきました。
先週土曜、東京・千代田区の明治大学駒河台キャンパスで行われたシンポジウムは、関東大震災朝鮮人虐殺問題に長年携わってきた研究者や弁護士、活動家などが、近年の関東大震災の研究成果を紹介するとともに、多様な論点から関東大震災の諸問題の解決を探る意義深い議論の場でした。
シンポジウムでは多くの方が80周年当時と90周年現在の社会状況の変化について言及していました。
同実行委員会の一人である坂本昇さんは、歴史の歪曲や風化を防ぐために追悼式などが毎年各地で行われてきたが、この10年間で歴史の歪曲が本格的に始まったとし、メディアと右派政治家が一体となって関東大震災の史実の「是正」を進めていると指摘していました。
強制連行や日本軍「慰安婦」問題、南京大虐殺と同様に、関東大震災朝鮮人虐殺に関しても、東京都・横浜市の「副読本」から関東大震災朝鮮人虐殺の文言が消されるなど、教材の恣意的な書き換えが始まっています。90年を迎えてもなお真相究明に向かうどころか歴史認識は「後退」しているとしかいえません。
また、そのような歴史歪曲の動きや、現在の日本における朝鮮人に対する根深い差別意識、昨今噴出する多民族への排他性・暴力性は、関東大震災当時、朝鮮人虐殺の国家責任及び民衆責任が曖昧にされたことと深く関連しているとの認識のもと、国家責任を問う視点の重要性も、シンポジウムでは繰り返し強調されました。
一方、明治学院大学の鄭栄桓准教授は、解放直後の在日朝鮮人運動においては国家責任を追及する議論が語られていたにもかかわらずそれが頓挫した要因は朝鮮半島の分断状況にあるとし、冷戦・分断体制の中で捉えていく視点が必要不可欠だと話していました。
同実行委員会の田中正敬事務局長は、90年という年月は「分岐点だ」と話しており、それは、虐殺の体験者がほとんどいなくなっているという事実への危機感からでした。
「私は体験者から直接話を聞いてきた。日本人として問題の解決に向けて活動するのは私の意地だ。人から歴史を学んできた自分が次の語り部となって、伝え続けていかなければならないと思っている」
上記はシンポジウムの終わりに西崎雅夫さん(「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」)がおっしゃった言葉です。同会では 追悼碑の建立に、虐殺現場のフィールドワークを続けるなど証言の収集・保存に取り組んできました(詳しくは月刊イオ9月号「関東大震災朝鮮人虐殺から90年 語り部たちを追う」参照)。「後退」し続ける歴史認識に「待った」をかけられるのは、このような地道な取り組みや、不当な主張に対して一つひとつ批判していく作業なんだと改めて思います。
今日9月7日も、15時から荒川河川敷にて犠牲者を追悼する会(詳細 http://moon.ap.teacup.com/housenka/)が行われます。ぜひご参加ください。(淑)
正義はいづこに・・・
残酷な朝鮮人虐殺から90年。この国は何か変わったのか。いや、何にも変わってない。いまだに鶴橋のど真ん中で右翼が卑劣な街宣を行い、「警察」がそれを「保護」するというざま。(来月も鶴橋で街宣らしい)生活がましになったかと思えば、それを「特権」と言いがかりをつける。1世の苦労を考えれば「特権」と言いがかりをつける、彼らの貧困なる精神を私は理解できない。この国が変わったのは、資本の量と技術の発展具合だけ。所詮、民度は変わってない。
日本人は、いや人間というのはこれほどまで他者の気持ちに鈍感なのか。人間らしい人間は本当に少ないようだ。なんと悲しいことか。
しかし、それでも希望を持ちたい。それは「琉球独立」なり「反差別デモ」なり、なんらかの形を伴って姿を現し、人間疎外からの脱出をもたらすだろう。
最後に。震災時に日本の大野蛮人どもによって殺された朝鮮人たちに祈りをささげる。そして、あなたがた在日朝鮮人の未来にも幸あらんことを。
何度謝っても謝りきれません
今から90年前に起きた関東大震災での、在日コリアンの方達への虐殺に対しては、一日本人として、何度謝っても誤りきれません。しかし、自警団の人達より、在日コリアンの方達の命を救った日本人も、実際には居ます。今、レイシスト達が、迫害をしていますが、少なくとも私は、もし第二次関東大震災が起きたら、あなた達を助けてあげます。悪い日本人もたくさん居る事は認めます。でも、そういう日本人ばかりではありません。私は、世界中の全ての方たちと仲良く共生したいと思っています。