『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録』上映会に参加して
広告
先週土曜日(21日)、日本映画大学の新百合ヶ丘キャンパスで行われた『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』+続編『After School』(制作:コマプレス)の上映会に足を運んだ。
『東日本大震災 東北朝鮮学校の記録 2011.3.15-3.20』(以下、『東北朝鮮学校の記録』)は震災発生から3日後に東北入りしたコマプレスのスタッフ、韓国出身の朴思柔さんと在日朝鮮人3世の朴敦史さんの2人が東北朝鮮初中級学校の児童・生徒、教職員、地域同胞たちの震災直後の姿を映像で記録したもの。続編の『After School』では震災から半年後からのようすが描かれている。
上映会は多文化メディア市民研究会(代表=毛利嘉孝・東京藝術大学准教授)が主催し、日本映画大学が上映場所の提供などで協力した。作品上映後には朴思柔さん、朴敦史さんの2人に作品の舞台となった東北朝鮮初中級学校の玄唯哲校長(震災当時は教務主任)も交えてのトークセッションが行われた。
『東北朝鮮学校の記録』は2011年10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭で初上映されて以来、今日まで各地で上映会が行われている。私もこれまで2度ほど見たが、続編の方は未見だったので、この機会に、と足を運んだ次第だ。以下、上映会に参加しての感想をいくつか書き記したい。
まず、両作品が東日本大震災という未曾有の災害に直面した現地同胞たちの姿を撮影した貴重な記録映像であるということを改めて実感した。おそらく、朝鮮学校を中心とした被災地の在日朝鮮人コミュニティの震災直後のようすを最も早い段階で、最もまとまった形で記録したものだといえるだろう。『東北朝鮮学校の記録』では、地震で校舎が全壊した学校のようすや日本全国から届く同胞たちの救援物資に支援活動など、被災地に生きる同胞たちのたくましい姿が映し出される。続編の『After School』は震災半年後からスタート。旧校舎の取り壊しなどで変わりゆく学校の姿と、児童・生徒たちの日常を追っている。震災を扱ってはいるが、そこには普段の朝鮮学校の姿がそのまま描かれている。上映後、「取材者が学校生活の内部に深くまで入って撮影しているので、朝鮮学校のことを知らない人からすると珍しい映像なのではないか」という指摘があったが、私などとは比べものにならないくらい長期間にわたって現場に通い、そこにいる人々と信頼関係を構築したからこその映像だと思う。
震災後に私も現地で取材活動を行ったので、映像に自分の姿を発見することができる。私はコマプレスに遅れること3日の17日に現地入りした。一緒に過ごした期間は1週間にも満たないが、単なる「同業者」以上の連帯感を抱くほど濃密な時間だった。画面から漂うある種の「高揚感」は、いま見返すと少々変に感じられるが、当時はそうだった。現場には「震災ユートピア」的な空間が確かに存在していたのだと思う。
一方で、映像は東北朝鮮学校が置かれた苦境も淡々と語る。同校は地震で建物が甚大な被害を受ける一方で、学校関係者や同胞たちの避難場所にもなったが、行政に救援の対象として認識されることはなかった。給水車の派遣や臨時のプレハブ校舎の建設などを要請しても行政の担当者からやんわり断られる姿がスクリーンに映し出される。さらに県は震災後、「県民感情に配慮して」などの理由で学校への補助金を打ち切っている。学校関係者や総聯の活動家らが全国から送られてきた食料を救援物資の乏しい周囲の避難所に分けて配り、自らは一日の食事を2食に切り詰める姿は見るたびに胸がしめつけられそうになる。
新校舎建設事業は宙ぶらりんのまま、学校では現在、寄宿舎を改修し教室代わりにして授業を行っている。届かない支援、補助金打ち切りなど行政あげての差別―。映像は、行政や日本社会にとって「不可視」の存在となっている朝鮮学校の現状も浮かび上がらせている。
思うように進まない校舎再建の取り組み、支援打ち切りによる経営状態の悪化といった震災によって起こった問題に加え、生徒数の減少や地域同胞コミュニティの縮小など、この地域は以前から存在し震災を機にいっそう顕在化した問題にも直面している。震災発生から2年半、東北朝鮮学校に対する支援は震災からの復興という枠組みだけでは捉えきれないものになっている。真に求められる支援とは何なのか―。2つの映像はこの難しい問いも突きつけているような気がした。
上映後に行われたトークではコマプレスの2人の取材経験が語られたが、それを聞きながら取材者と被取材者との関係性について多くのことを考えさせられた。撮影は昨年の3月を最後に中断しているが、そうするにいたった経緯や本人たちの心境も語られた。当初は、「学校の現状を記録することがある意味、支援になるのではないかという思い」があったという。「映画を撮るために学校に滞在しているのではなく、あくまでも被災地支援の一環として記録させてもらっている」という立場だ。しかし、「撮る」という行為がもたらす負の効果が次第に現れる。震災後の急激な環境の変化で学校関係者のプライバシーが無くなり、継続して撮られることのストレスがたまり、撮影に対する拒否反応が表れ始めた。被写体に深刻な負担を与えるようになっていることがわかった以上、カメラを向けることはできない、と2人は当初の滞在予定を切り上げ、学校を離れたという。
「『震災を忘れない』という物言いはよそ者の論理だ」と朴敦史さんは語っていた。震災のことは忘れたい、忘れたくても忘れられない、忘れ去られてほしくない―。現地の人々の思いは外部から来た取材者が考えている以上にはるかに多様で重層的だということは、それに従事した人なら誰もが感じたことだと思う。記録するという行為を介して、撮る者と撮られる者との間でどのような関係性が生まれるのか、またそのそれはいかにあるべきか―。2人の話は「取材者の立ち位置」という意味でも少なくない示唆を与えてくれた。
とりとめもなくダラダラ書き連ねてしまったが、要するに何が言いたいかというと、両作品とも、社会のまなざしからこぼれ落ちるマイノリティがあの震災をどのように生き抜いたのか、そして朝鮮学校とはどのような場所なのかという問いかけにいくつもの重要な視点を提供してくれる作品だということ。朝鮮学校のことを知る同胞たちより、よくわからないという方々(同胞、日本人含め)にこそ見てもらいたい。
上映会の最後に、大阪朝鮮高級学校ラグビー部を追ったコマプレスの最新作『60万回のトライ』の予告編を見ることができた。短い映像だったが、不覚にも目頭が熱くなった。本編公開は来年春を予定しているという。こちらの作品にも注目したい。(相)