運動会と政治
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秋と言えば、運動会の季節です。先日、息子が通う東京朝鮮中高級学校の運動会に参加してきました。東京中高の運動会に参加するのは初めてで、初級学校の運動会とはまた違った趣がありました。仕方のないことですが、生徒数が多いので初級学校のときと比べて出番が少なかったですし、高級部が主役という感じで中級部の存在感が薄かったように思えてちょっとさびしかったです。
初級学校の運動会と変わらないのは、運動会の応援席が地域同胞たちの交流の場、いこいの場、宴会の場になっていることです。私の座っていた場にも、いろんな人たちが現れては飲んでしゃべり去っていきました。朝鮮学校を取材している韓国からの取材者がお弁当を撮影していったり、在中同胞が来たり、昔の職場の同僚が子どもを連れて来たり。
個人的に一番盛り上がったのは、各クラブ別の行進でした。スポーツクラブだけでなく文化クラブも行進します。サッカー部や舞踊部といった大所帯のクラブもあれば、3~4人という少数クラブもありました。数学部というクラブがあるのにちょっとびっくりでした。クラブ別の行進は、朝鮮学校がクラブ活動を重視しているということの表れでもありますが、朝鮮学校の伝統、歴史の重みがこの行進に凝縮されているように思えました。
この日に集まった同胞たちの多くが東京中高の卒業生、もしくは他の朝鮮高校の卒業生であります。スポーツクラブ経験者なら、自分たちが学生時代に汗を流したこと、ライバル校として戦った思い出などや、日本の大会に出ることができなかった時代から日本の大会で活躍するようになった歴史が思い浮かぶことでしょう。文化クラブ経験者なら、大小、いろんな集まりや大会に出場した思い出、同胞たちの前で披露し拍手を浴びたこと、デモ行進で演奏したこと、日本社会との交流のための舞台などを思い出すことでしょう。だからこそ、今の生徒たちがそれぞれのクラブの衣装を着て行進する姿を同胞たちはみな感慨深い顔をして見ていました。朝鮮学校がただの学校ではない、同胞社会を支える柱であり歴史そのものであることを、クラブ活動が一つ端的に象徴しているのでしょう。
印象深かったのは、運動場の会場に、朝鮮民主主義人民共和国の国旗と統一旗が飾られ、朝鮮の国旗がいろんな場面で現れたことでした。「北朝鮮バッシング」の中で、「高校無償化」からの排除、補助金の停止など、朝鮮学校が政治的に弾圧されている状況で、なぜ朝鮮の国旗を掲げるのか。それを本当に理解するには植民地時代から解放後の朝鮮半島と在日同胞、朝鮮学校の歴史を知るしかないと思います。いずれにしろ、どんな旗を掲げようと、日本の植民地支配により日本に住むこととなった在日同胞の民族教育を弾圧することは許されることではないし、国際法や基本的人権に照らしてもあってはならないことです。
月刊イオ11月号の特集は「スポーツと政治・考」で、スポーツと政治の関係についていろいろと語っています。スポーツに政治的な問題が絡むというと、国際大会や国家代表といった大きな問題だと思いますが、そうではありません。東京中高の運動会に参加し、そこでも「スポーツと政治」ということを考えさせられました。(k)