なぜ私は「高校無償化・就学支援金制度」からの朝鮮学校排除に怒るのか
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既報のように、「高校無償化・就学支援金制度」から朝鮮学校が排除された問題で、東京朝鮮中高級学校高級部の生徒62人が国を相手に計620万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。「高校無償化」問題に関連する裁判は大阪、愛知、広島、九州に続いて5件目。日本全国に10ある朝鮮高級学校の中で最も大きい学校であり、私の母校でもある東京朝高の生徒たちが起こしたとあって、思いはひとしおだ。
提訴当日のようすや訴訟のポイント、「裁判を支援する会」の結成集会の内容についてはすでに前々日、前日のブログで書かれているので、ここでは自分自身が思うところをいくつか書きたい。
これまで私が「高校無償化・就学支援金制度」からの朝鮮学校除外に怒りを表明し続けてきたのは(学校に通う子どもたちのためというのもあるが)、なにより16年間にわたって朝鮮学校で学び、そこでアイデンティティの大きな部分を形成してきた私自身の尊厳が傷つけられ、存在を否定されたと感じたからかもしれない。果たして、こんな筋の通らないむちゃくちゃなことがまかり通っていいのだろうか。
今はなき京都朝鮮第1初級学校の校門前で「朝鮮学校、こんなものは学校ではない」「朝鮮学校を日本から叩き出せ」と叫んだ差別・排外主義者たちと、「高校無償化・就学支援金制度」から朝鮮学校を排除した日本政府は私の中でつながっている。制度から排除された経緯や、それを正当化する「国民の理解」といったロジックが受け入れられる現在の社会的風潮には相当な危機感を持たざるをえない。問題は就学支援金の支給それだけにとどまるものではないのだ。
裁判は長く厳しい道のりになるだろう。それは単に国を訴えるという困難に起因するだけではなく、この社会を覆う差別と排除の空気とたたかうことでもあるからだ。
今年からイオでは各地の訴訟のニュースを伝えるページを新たに作った。裁判の経過を記録するのみならず、運動に携わるさまざまな人々の声を丹念に拾い、伝えることで世論を喚起し、問題を風化させないこと。これこそが私たちにできる最も効果的な裁判支援なのではないかと思っている。(相)