時を越えて今につながる「ジェノサイドの残響」をいかに聞き取るか―『九月、東京の路上で』を読んで
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最近、本ブログの私のエントリがシネマレビュー、ブックレビューに特化しているような気がする。他にうまいネタがなかなか見つからないという理由もあるが、これからも自分が書きたいものを書いていこうと思う。
ということで、今回もブックレビューを(笑)。先日読み終えた『九月、東京の路上で』(加藤直樹著、ころから)を紹介したい。
本書は1923年9月の関東大震災時に発生した朝鮮人虐殺についての一冊。虐殺から90年を迎えた昨年、東京を中心に現場となった場所を訪ね、当時そこで起きたことを史料の証言や記録を基に伝えた同名のブログに加筆したものだ。同ブログは地震発生の9月1日から同日同時刻に記事を更新することで、90年前の出来事をトレースするというユニークさもあって、当時から愛読していた。ブログは現在もウェブ上で閲覧可能だ。
http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/
さて本書だが、まずタイトルが秀逸だと思う。「九月」と「東京」という2つの言葉でピンとくる人はピンとくるだろう。そして「路上」という言葉には、読者に90年前に起こった虐殺事件の全体像を解説するよりも、そこで起こった現実を感じてほしいという本書のコンセプトが象徴されているように思える。
本書は1923年9月1日午前11時58分の地震発生から始まる。そこから時系列に虐殺行為の事実が淡々と描かれる。その内容は当然ながら生々しく、凄惨だ。写真や地図もふんだんに掲載されていて読みやすいつくりになっているのだが、スラスラと読み進められるかといえば、私はそうではなかった。ショッキングな記述にページをめくる手が止まり、しばし考えにふけった後、再び読み始める。読み進めるのがつらくなる人もいるかもしれない。
周知のように、朝鮮人虐殺の主体は日本刀や竹槍、匕首などで武装した自警団だった。朝鮮人を探し出しては容赦なく暴力を加え殺害し、その「武勇」を誇りさえした自警団とは当時の日本の民衆そのものだ。 国が調査を怠ったばかりか妨害すらしたため、虐殺の犠牲者数はいまだ明らかになっていない。
なぜ一般の民衆が朝鮮人に対してここまで残虐になりえたのか。当時、朝鮮人が「日本人を襲撃しに来る」「井戸に毒を投げ入れている」「放火を重ねている」などの事実無根の流言飛語が拡散し、これを信じた自警団がパニックになり「朝鮮人狩り」に及んだとされている。ではなぜ、そのようなデマが多くの人の心をとらえたのか。本書も指摘するように、その背景には、当時植民地支配していた朝鮮人に対する偏見や差別意識があった。内務省警保局発の虚偽内容の打電が流言飛語の伝播の大きな原因となったこと、軍が虐殺に加担したことも明らかになっている。一部の偶発的犯罪ではない、民族差別感情に基づく官民あげた能動的な虐殺だったのだ。
著者が本書(の元となったブログ)を書くに至ったわけは、「在特会」などのレイシスト団体が東京の新大久保で行っていた差別・排外主義扇動デモにある。このデモに対峙する活動に携わっていた著者はデモ隊のプラカードに「不逞朝鮮人」の文字を見つけたとき、「関東大震災時の朝鮮人虐殺を思い出してぞっとした」という。「レイシストたちの『殺せ』という叫びは、90年前に東京の路上に響いていた『殺せ』という叫びと共鳴している―」。関東大震災は過去の話ではなく、今に直結し、未来に続いている、そんな危機感の下、当時の虐殺の事実を伝えるブログの開設を決めたという。
著者が本書を通じて最も主張したかっただろうことは第4章に書かれている。キーワードは「『非人間』化」と「共感」だ。以下、印象に残った箇所を引用したい。
朝鮮人を「非人間」化する「不逞鮮人」というイメージが増殖し、存在そのものの否定である虐殺に帰結したのは、論理としては当然だった。
いま、その歴史をなぞるかのように、週刊誌やネットでは「韓国」「朝鮮」と名がつく人や要素の「非人間」化の嵐が吹き荒れている。そこでは、植民地支配に由来する差別感情にせっせと薪がくべられている。
私は、90年前の東京の路上に確かに存在した人びとのことを少しでも近くに感じる作業を読者と共有したかったからこそ、この本を書いた。記号としての朝鮮人や日本人ではなく、名前を持つ誰かとしての朝鮮人や中国人や日本人がそこにいたことを伝えたかったのだ。
右翼政治家たちがけしかけ、メディアが展開する集団ヒステリーのような「非人間」化=レイシズム・キャンペーンを誰も疑問に思わない状況。それはどこにたどり着くのだろうか。私たちはその中で、いつまで当たり前の共感を手放さずにいられるだろうか。
先人たちの貴重な調査・研究成果に基づきながら、90年前の東京の路上でさまざまな人々が経験した現実を読者がイメージできるよう再構成し、1923年9月と今を架橋した著者の仕事をたたえたい。未読の方々はぜひ本書を手に取り、あらん限りの想像力を駆使して90年前の9月の東京にタイムスリップしてもらいたい。眼前にどのような風景が立ち上がるだろうか。本書を読み終えた後、心の中に虐殺の残響がこだまするだろうか。
90年前の関東大震災の記憶は在日朝鮮人の中に悪夢として深く刻み込まれている。本書を読みながら、韓国の評論家・文富軾の著書『失われた記憶を求めて―狂気の時代を考える』に引用されていたある詩人の言葉―「忘却が次の虐殺を準備する」―を思い浮かべた(この一節は中村一成の近著「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件」でも引かれている)。
虐殺の記憶をいかに語り継ぐか、「非人間」化というレイシズムにどう抗するか、「エリート・パニック」に陥った権力者たちの「治安の論理」にどう立ち向かうか、そして「共感の回路」をいかに開くか―。本書が問いかけるものは極めて現在的な課題なのだ。(相)
無題
お邪魔します。首都圏在住のトンポです。
この本とブログの存在はなんとなく知っている程度だったので、
こちらで詳細を知ることができありがたく存じます。
私は昔、関東大震災における朝鮮人虐殺の関連資料をあさる機会がありました。
今でも頭にこびりついて離れないのは、埼玉で起こった「本庄事件」についての証言です。
これは、当時朝鮮人を暴徒から保護していた本庄警察署の署長?が
後年になって証言した有名な記録で、関連書籍や資料集にはしばしば引用されています。
その迫真の描写と内容のショッキングさで、数ある虐殺証言の中でも抜きん出ていると思います。
ちなみに小学生や小さなお子さんをお持ちの方(特に女性)には、私としてはお読みになるのをおすすめできません。
これが上のブログでも取り上げられ(取り上げてるでしょうね、有名だから)、
事件の一部始終がノンフィクションノベルばりに描写されているとしたら…
私はちょっと読むのをためらってしまいますね。神経が耐えられそうにありません(苦笑)。
しかし、日本の方がこちらのエントリーにあるような問題意識のもとに
このようなブログ/著書をお書きになったこと自体はたいへん意義深いことです。
著者の方には心からの敬意を表したいと思います。
私のような「トラウマ」に向き合えない線の細いオヤジはともかく、
若い方にはトンポでも日本の方でも、ぜひ腰を据えて読んでいただきたいですね。
Unknown
当時川崎の日本鋼管で働いてた祖父は、熱海の農家にかくまってもらって生き延びました。
正力松太郎ほか3.1独立運動弾圧時の朝鮮総督府の役人たちが東京に集結して戒厳令の下デマを飛ばしました。多くの市民が殺人者にされ、チョウセンは怖い、悪が刷り込まれたのです。それはなかなか許しがたいですが、それでも祖父を助けてくれた人のような良識に期待します。
Unknown
トラウマこわい様、コメントありがとうございます。返信が遅れて申し訳ありません。
本庄事件に関しては(有名な事件ではあるのですが)、本書では数行触れられているだけです。関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する網羅的な書籍ではないので。
しかし、おっしゃるように、このような時代にこのような著書が発刊されることはたいへん意義深いことだと私も思います。200ページあまりの分量なので、トラウマこわい様もぜひお手にとってみてください。
Unknown
李浩康さま、コメントありがとうございます。
李さんのハラボニムも九死に一生を得たのですね。本書にも、在日朝鮮人を助けた日本人のエピソードが収録されています。
李さんご指摘のとおり、時の政府や警察、軍の責任は重大だと思います。今に至るまで事件の調査をおこたり、何ら責任を取っていない姿勢も含めて。
「ハルモニの唄」を読んで
ハルモニの唄」川田文子著 岩波書店 を図書館で借りて読みました。様々な一世の方々の苦労したお話を読み、本当に何と言ったらよいのかわかりません。でも、私は、一日本人として、在日コリアンの方々と仲良く共生したいと思います。「九月、東京の路上で」も、図書館にリクエストしました。第二次関東大震災が起きた場合には、私が命を捨ててでも、在日コリアンの方達を助けてあげます。日本人も在日コリアンの方達も、他の国々の方達も、同じ赤い血の流れている人間ではないですか。困った時は、お互い様です。仲良く助け合って生きて行こうではありませんか。
「九月、東京の路上で」を読んで
図書館で「九月、東京の路上で」を借りて読みました。関東大震災の時には、在日コリアンの方たちは、本当にひどい目に合わされましたね。この本を読むと、中国人の方や沖縄人の方も、殺されたのですね。私は、一日本人として、何世代か前の日本人が、在日コリアンの方たちやその他の方達にひどい事をして、本当に申し訳なく思っています。もし、第二次関東大震災が起きたら、私が命を捨ててでも、貴方達を助けてあげます。困った時は、お互い様ですから。