1948年の4・24 – イオWeb

ブログ 日刊イオ

ブログ日刊イオ

1948年の4・24

広告

広告

3件のフィードバック

  1. かんちゃん より:

    一体誰がこんなにひどい事を
    48年4月24日に、このような事が起きたということを知り、驚きました。拷問をしたのは、日本の警察官なのですか?それとも米軍兵なのですか?

  2. かんちゃんさんへ より:

    「誰」がやったか
    >拷問をしたのは、日本の警察官なのですか?それとも米軍兵なのですか?

    特に本事件について当時の記録や証言を読んだわけではありませんが、拷問に直接手を下したのはおそらく米兵ではなく日本人でしょう。

    GHQは占領軍として絶大な権力を振るいはしましたが、日本政府の統治機構を基本的に生かしたまま「間接統治」するにとどまりましたので、行政における直接の担い手は今まで通り日本人でした。司法・警察行政においても事は同様です。

    1948年4月当時は、すでに特高警察とその要員は「人権抑圧装置の一つ」として解体・追放され存在しませんでしたが――
    1.特高の解体直後、その「政治警察」としての役割を密かに引き継ぐ目的で内務省は警保局に「公安課」(現在の「公安警察」の源流)を新たに設置していたこと、
    2.この事件が「戦後日本で唯一の非常事態宣言」発令下で起こった(宣言発令下ではGHQの当該レベルの憲兵司令部が、管轄地域の日本警察を直接指揮下における)ものであること、
    3.当時のGHQ内部で、日本の民主化を第一と考える部局(GS=幕僚部民政局)と対共産主義諜報活動を重視した部局(G2=参謀部第2部)との間で戦後日本のあり方について鋭い対立があり、G2が特高や憲兵隊といった旧治安機関の要員だった日本人を諜報員として雇い入れていたこと
    ――以上を考え合わせると、特高上がりのGHQ(G2)日本人要員や兵庫県警公安課の刑事が、GHQ当局の取り調べに立ち会い、このような拷問を行ったとしても不思議ではありませんね。

    さらに言うならば、当時のアメリカは朝鮮と朝鮮人についてひじょうに情報不足=無知だったとする一部研究者の指摘もあり、取り調べを日本人にアウトソースする必要があったという可能性も高いでしょう。

    蛇足ながら、本記事にある拷問の描写の中でも、「水拷問」は日本の特高・憲兵がしばしば用いた手法としてよく知られているものです。

  3. かんちゃんさんへ より:

    追記というか修正というか
    度々恐縮です。

    >兵庫県警公安課の刑事

    と先に書いていますが、地方警察で当時「公安課」の部署名が使われていたかどうかは私にもわかりません(筆がつい滑りました。苦笑)。
    現在と同様に「警備部」的な名称だったかもしれませんが、私の情報収集力ではこれが精一杯です。大変失礼しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です