ウリクルを学ぶ
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春にハッキョに入学した娘は、いよいよウリクル(朝鮮の文字)を学びはじめました。私が通った頃はたしか、朝鮮の文字を先に習ったのですが、今はヒアリングから始めます。
1.이름이 뭐니(名前はなあに)
2.안녕하십니까(アンニョンハシムニカ)
3.이건 뭐라고 해요(これはなんていうの?)
4.여기가 어디니(ここはどこ)
5.공부시간이예요(勉強する時間だよ)
6.쉬는 시간이야(休みの時間だよ)
7.점심 먹자(お昼ごはんを食べよう)
8.깨끗이 해요(きれいにするよ)
9.내가 할래(わたしがするよ)
この9つの単元を終えていよいよ、「10」の単元で文字が登場!(写真)
아야어여から始まります。
それまでは、ソロマルと言って、日常会話を反復したり、文字のある部分を繰り返し書く宿題が多かったのですが、아야줄を習うようになってからは、아から으の10文字を連続して読み、そして覚えます。教科書には、単語も登場し、文章も登場します。その最初の文章が「아이야(赤ちゃんだよ)」です。
習いたてのウリマルの発音はどこかぎこちないのですが、教科書を熱心に読む姿はなかなかいいものです。
その姿に、今は亡き母方の祖母を思い出しました。
ある夏、三重県に暮らす祖母を訪ねると、朝鮮新報に載ったウリマルを、一字一字ゆっくりと、一生懸命に読んでいました。その姿に、「ハンメが教育を受けられなかった」ことを初めて受け止めた気がします。
1世の朝鮮人女性のほとんどは、朝鮮王朝時代から続く男尊女卑の考え方や、植民地時代の皇国臣民教育により、学校の門前にも行けず、さらに日本に渡った後は日本語を読めず苦労しました。
父方の祖母は、故郷で少し漢字を習えたので、朝鮮から日本の地に着いた後、駅にある「入口」「出口」などの看板を手掛かりに、どうにか目的地まで辿り着けたと話していましたが、文字をいっさい習えなかった一世たちが重ねた苦労は、はかり知れなかったと思うのです。
祖母が生まれて1世紀。
何の苦労もせず、文字を学べるようになった私たちですが、1世のハルモニたちの分まで学ばねば、と思います。(瑛)