性奴隷被害者たちと日本
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東京で5月31日と6月1日の両日、第12回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議「世界は『慰安婦』問題の解決を求めている!」が開かれ、韓国、中国、台湾、インドネシア、フィリピン、東ティモールなどアジア各地とオランダから日本軍性奴隷被害者やその遺族、支援団体が集まった。2日には東京・永田町の衆議院第一議員会館で院内集会が開かれ、日本共産党、社民党の党首や国会議員らが被害者の声に耳を傾けた。
1992年以来続く会議で、12回目の開催地を東京に選んだのは、「戦争をできる国」へと日本が舵を切る中、何とかそれを止めたい、という被害者たちの切実な思いからだった。
「皆さん、子どもたちを戦争に送りたいですか? 日本は過去を清算せず、戦争の準備をしようとしています。自由に行ったと言われるのがどんなに悔しいか。私たちハルモニに心から悪かったと言ってほしい。皆さん、安倍首相が暴言を吐かないよう、力を集めてください」。
真っ白なチョゴリをまとった金福童さん(88)が支援者に支えられながら壇上に上がった。金さんの片目は光を失い、もう一方の目も微かに見えるだけだ。高齢を押して度々日本を訪問し、人なつこい笑顔で、多くの人に愛されてきた。「日本政府が過去について謝罪すれば近くの国々と仲よく過ごせる」―。苦しみの過去を語るのは、日本に生まれ変わってほしいとの思いからだ。
1926年に慶尚南道梁山で6人姉妹の四女に生まれた。家の仕事を手伝っていた時に、「軍服を作る工場で稼げる」と騙され、41年に性奴隷として連行された。台湾を経て広東へ。初日の夜、自分を検査した軍医官は部屋に入ってくるなり、逃げ回る福童さんを捕まえて両頬を思いっきり殴った。一日に15人ほどの相手をし、週末には50人を超える日本軍人の性奴隷に。その後も中国の広東、香港、スマトラ、インドネシア、マレーシア、ジャワ、シンガポールなどを転々としながら、5年間、日本軍の性奴隷となり、苦しみのあまり自殺を図ったこともあった。シンガポールで解放を迎え、米軍捕虜収容所に入った後、帰国。
最年少の性奴隷被害者として、6月2日の院内集会(衆議院第一議員会館)で証言したのはインドネシアから来日したスリ・スカンティさん(79)だ。
日本軍の性暴力を受けたのは、わずか9歳の頃。
村で美人と評判だったスカンティさんは、二人の軍人に連行され、部屋に閉じ込められ、「オガワ」という将校の性奴隷となった。監禁された4日後、両親と再会はできたものの、戻った学校では、「猿の使い古し(日本兵に手を付けられた女)」といじめられ、生殖器官の損傷により、子どもを持つこともできなかった。マッサージと死体の洗浄の仕事をしながら生計を立てるが、自身の医療費は到底まかなえないという。人前で証言することが初めてというスカンティさんの瞳からは涙が止まらなかった。「日本政府に国の犯した犯罪の責任を取ってほしい。自分の身に起こった悲惨さをもう誰にも経験させたくない」。
「日本軍性奴隷問題は、被害者が声を挙げなければ世界は知ることがなかった。被害者の声がアジア各地の女性たちの勇気ある証言を引き出し、国連や世界の国々で決議が続いている。知らないふりをしているのは日本だけ」と語るのは、韓国・「民主主義のための弁護士会」の李相姫弁護士だ。
会議では、この20数年間、被害者の勇気ある証言が日本政府に問題解決を促す国際連帯活動を導き、国連女性差別撤廃委員会(3回)、ILO専門委員会(13回)、国連社会権委員会で勧告・提言が続々と出されることで、「日本軍性奴隷制度」が国際法違反の犯罪として認定され、日本政府に謝罪を賠償、再発防止策を求める国際世論が高まった成果が報告された。
韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香常任代表は、2000年代に入り、被害者たちの死亡率が年を追うごとに高まり、日本政府と右翼勢力の暴言が続く、という新たな問題が浮上する中、記憶と再発防止のための活動に力を入れてきたことを報告した。米国では、2010年10月にニュージャージー州、12年6月のニューヨーク州に記念碑が建てられ、13年に米下院で決議が採択されている。尹常任代表は、これらが米国の議員やアジア市民、在米コリアンの力で実現された意義を強調、日本政府が被害者に誠意を見せない現実を変える鍵は「日本市民の力量にある」と指摘し、「市民社会の変化の力は弱いので、これを支援する日本国内の市民の声を国外に伝え、日本政府に向けて圧力を加える国際支援、連帯を進めていく。これが23年間の教訓だ」と語った。
また会議参加者は6月2日、日本軍性奴隷制度への日本政府の関与を裏付ける529点もの公文書等の資料を安倍首相宛てに提出した。資料は河野談話が出された1993年8月4日以降に、国内外で調査・発見されたもの。第1次安倍内閣は、「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007年3月16日)とし、最近安倍首相は「談話の作成過程を検証する」ことを指示したが、資料提出はこれに反論する強力な証拠だといえる。
さらに、日本政府に対し、次の事実と責任を認めることを求めた。
①日本政府および軍が軍の施設として、「慰安所」を立案・設置し、管理・統制したこと
②女性たちが本人たちの意に反して、性奴隷にされ、「慰安所」等において強制的な状況下に置かれたこと
③日本軍の性暴力に遭った植民地、占領地、日本の女性たちの被害にはそれぞれに異なる態様があり、かつ被害が甚大であったこと、そして現在もその被害が続いているということ
④当時の様々な国内法・国際法に違反する重大な人権侵害であったこと
また、被害回復措置として、求めたのは以下。
①翻すことのできない明確で公式な方法で謝罪すること
②謝罪の証として、被害者に賠償すること
③真相究明(◆日本政府保有資料の全面公開、とくに河野談話が発表された93年以降のもの、◆国内外でのさらなる資料調査、◆国内外の被害者および関係者へのヒアリング)
④再発防止措置(義務教育課程の教科書への記述を含む学校教育・社会教育の実施、追悼行事の実施、誤った歴史認識に基づく公人の発言の禁止、および同様の発言への明確で公式な反駁)
「被害者に受け入れられる解決こそが真の解決」―。アジアの被害女性たちに寄り添ってきた支援者たちが、今会議で被害を一つひとつ具体的に取り上げることに力を尽くしたのは、高齢の被害者たちに残された時間があまりにも限られているからだ。
10年間の裁判を闘った宋神道さんが、各国の被害者を支援に訪れた
性奴隷被害者たちは、どんどん減っている。朝鮮半島出身者が、韓国に50名、中国に3名、米国1名、日本1名。
朝鮮民主主義人民共和国にも、もちろん被害者はいるが、今回は残念ながら参加できなかった。
一人でも多くの被害者の声を日本に届けなければ。(瑛)