日本人遺族ら、69年ぶりの訪朝
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5月のスウェーデン・ストックホルムに続き、朝・日政府間会談が1日、北京で行われた。ストックホルム合意にもとづいて、朝鮮側はすべての日本人行方不明者を調査する「特別調査委員会」を発足させ、そして日本側は昨日の閣議決定で、8年にわたる対朝鮮制裁の一部をついに解除した。合意履行における両政府間の意思疎通と連携には、膠着状態だった朝・日関係を打開するための糸口が見える。
時を同じくして、第2次世界大戦の終戦前後に朝鮮で死亡した日本人の遺族ら9人が、墓参のため26日から朝鮮を訪れている。一行は滞在期間、平壌市の龍山墓地、咸鏡北道の古茂山など、各地の日本人埋葬地を訪れた。今回の墓参はストックホルム合意がなされて以降、初めてで、合意には終戦前後に朝鮮で死亡した日本人の遺骨及び墓地に関する調査も含まれている。
この間、地方への取材はできなかったが、龍山墓地へ同行し、一行が宿泊してる高麗ホテルで関係者や遺族ら数人と会うことができた。
「北朝鮮地域に残された日本人遺骨の収容と墓参を求める遺族の連絡会」(北遺族連絡会)によると、今回、戦前に日本人が多く住んでいた咸鏡北道の清津市羅南、咸鏡南道の咸興への墓参が初めて実現された。とりわけ咸興の日本人埋葬地の調査は広範囲にわたり、困難を極めた。僅かな情報を頼りに、調査は1年半を要したという。
同連絡会は2012年から計8回訪朝しており、今回で9回目。日本人遺骨問題に関して日本政府の積極的な支援が得られない中、関係者は「墓参を続けてこられたのは朝鮮側の誠意ある協力と尽力のおかげ」と話していた。
69年ぶりに、父が眠る咸興を訪れたある遺族は、「ずっと父のことが頭から離れなかった。会いに来たよと伝えた。朝鮮政府の調査のおかげで、おおよその場所ではなく特定した場所を墓参できたことがとてもよかった」と話し、埋葬地について地元の人が丁寧に説明してくれたことにもいたく感動していた。
また、朝鮮では行く先々で人々から格別な待遇を受けた一方で、戦前、朝鮮に滞在していた頃、父が営む製鉄所で朝鮮人を使用人として使い、自身も朝鮮人に対し無下に接してしまったことについて、「人として大事なものを見失っていた」と話していた。
69年ぶりに訪れた咸興をはじめ、地方都市を見て回った印象については、「地方の暮らしは裕福ではないかもしれないが、人々の表情は穏やかで苦しそうな印象などなく、平和に暮らしていると感じた」と話し、平壌については「女性たちの歩く姿勢が美しく、街がいきいきしている」と話してくれた。
終戦前後、朝鮮北部で死亡した約3万4000人の日本人の遺骨のほとんどは、いまも朝鮮各地の墓地・埋葬地に眠っている。今回遺族らの思いや訪朝の感想を聞きながら、墓参が遺族らにとって、両国間の歴史と現在を見直す重要なきっかけになっているのではないか、と感じた。
日本人遺骨問題はこれまで朝鮮政府の協力の下、日本の民間団体によって進められてきたが、政府間の議題にのったことで今後はよりスピードをもって進められることが期待される。
また同時に、日本各地に眠る朝鮮人強制連行・強制労働の被害者らの遺骨問題に対する日本政府の歴史的責任も、決して看過されてはならない。(淑)