平壌で国際ろう交流会
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平壌滞在もあっという間に3ヵ月が経過し、残すところ1ヵ月を切った。決して短くない3ヵ月という期間を振り返ると、金日成主席逝去20周年や朝・日政府間合意関連の取材など、記者として貴重な現場に恵まれ、平壌市内の新スポットや平壌市郊外の農村、地方都市にも足を運び、様々な取材を経験させてもらった。
平壌の暮らしの中に身をおきながら、農村でごちそうになったり、平壌冷麺をはじめ郷土料理や格段においしくなった国産のお菓子やパンも食べ、初めて電子マネーで買い物もした。つい先日は同胞訪問団に同行し、平壌市郊外にある美林乗馬クラブで乗馬も体験した。毎日、新聞各紙に目を通し、朝鮮中央テレビはじめ各局のテレビプログラムを鑑賞したり、最近の新曲も自然に覚えた。
思い出深い取材は挙げればきりがないが、中でも3ヵ月のうちに3度ほど行った、朝鮮の障がい者支援事業に関する取材は、どれも印象に残るものだった。
8月上旬から中旬にかけては、朝鮮の聴覚障がい者たちと世界各国の聴覚障がい者たちとの交流を目的とした、「国際ろう交流会」と「朝・日ろう交流会」を取材した(詳細は朝鮮新報で)。
この取り組みは、ドイツの非営利団体「TOGETHR-Hamhung e.V.」と世界ろう連盟(WFD)の共催の下、2009年から毎夏行われてきたもので、過去に、日本や中国、米国、スイス、フランス、イギリス、スウェーデンなど、多くの国から聴覚障がい者らが朝鮮を訪れ、交流を深めてきた。
今回も朝鮮障がい者保護連盟をはじめとした関連施設で、朝鮮の聴覚障がい者との交流が行われた。
一行が訪れた「普通江障がい者便宜事業所」について少し紹介したいと思う。
同事業所は理髪、洋裁、時計や靴の修理などを通して、障がい者の就労機会や社会参加を促進するための施設。2005年から障がい者たちが、それぞれの能力に準じた仕事に従事している。現在は約20人の障がい者と、健常者らが協働して仕事にあたっている。理髪などの技術は、事業所と同区域にある「障がい者技能工養成学校」で学ぶという。
取材で出会った聴覚障がいを持つ理髪師や洋裁技能士は、みな10年選手のベテランで、職場に定着しているようだった。一様に仕事にやりがいがあると話し、周囲ともうまくやっていると話していた。一方で、周りとどのようにコミュニケーションをとっているのか尋ねると、ある男性は、手話を知らない人が多いため、コミュニケーションは筆談で行うということ、それが面倒なのであまり話さない、とも言っていた。
朝鮮における障がい者支援事業はまだ歴史が浅いものの、近年、拡充傾向にあり、前述の朝鮮障がい者保護連盟が1998年に設立された以降、近年、朝鮮ろう人協会(2012年)、朝鮮盲人協会(2013年)が立て続けに設立された。ろう人協会には聴覚障がいを持つ19名が専従スタッフとして活動しており、目下、聴覚障がい者向けの字幕・手話放送の制作、手話辞典の発刊に取り組んでいるという。
朝鮮障がい者連盟では、それぞれの協会の自立活動を促す支援事業を行っているとのことだった。
余談だが、これらの取材はほとんど手話通訳を介すか、筆談で行ったため、一人にコメントをもらうにも普段の倍の時間を要した。
初めて朝鮮を訪れた各国の聴覚障がい者たちは、訪朝や朝鮮の聴覚障がい者たちとの交流について、一生懸命に「話して」くれた。大胆な手話と豊かな表情で伝えようとする姿から、文字通り「言葉」以上に、心からの充実ぶりが伝わってきた。(淑)