映画「NO」を観て
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この連休期間中、チリの映画『NO』(パブロ・ラライン監督、ガエル・ガルシア・ベルナル主演)を劇場で鑑賞した。非常に興味深く示唆に富む作品だったので、この場を借りて内容や感想などを書いてみたい。
作品のあらすじは以下のとおり(映画の公式サイトより)
CMは世界を変えられるのか!? 若き広告マンが恐怖政治に挑んだ、政権打倒キャンペーンの行方は―。
1988年南米チリ。長きにわたるアウグスト・ピノチェト将軍の軍事独裁政権に対する国際批判の高まりから、 信任延長の是非を問う国民投票の実施が決定。ピノチェト支持派「YES」と反対派「NO」両陣営による 1日15分のTVコマーシャルを展開する一大キャンペーン合戦が行われる。 「NO」陣営に雇われた広告マンは斬新かつユーモア溢れる大胆なアイデアで、支持派の強大な権力と対峙し メディア争いを繰り広げていくのだが…。 実話を元に、当時の映像とドラマが巧みに融合し交錯していく全編緊張感に貫かれた社会派エンターテインメント!
チリでは1970年に初の選挙によって誕生した社会主義政権がその3年後、軍部のクーデターによってピノチェト軍事政権に取って代わられた。米国の支援をバックにした独裁政権は長期にわたり続き、反対勢力に対する弾圧はし烈を極めた。
そんなピノチェト退陣の引き金となったのが、88年に行われた国民投票だった。この投票は、大統領の任期満了を迎えるピノチェトがさらに8年の任期延長をする是非を問うもので、賛成派は「YES」、反対派は「NO」の投票をすることになっていた。本作は、市井の人々が投票で独裁政権に「NO」を突きつけるようになるまでの過程を、広告による「プロパガンダ戦争」という視点から描いたものだといえよう。
「NO」派のキャンペーン映像の製作を依頼された主人公の若き広告マン、レネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、政権による拷問や弾圧の被害を訴える当初の映像に対して、「暗い話など誰も見たがらない」とダメ出し。代わりに彼が作った映像は、歌やダンスで未来の明るさをアピールする内容だった。「NO」派の幹部たちからは「コカコーラの広告」「現状を肯定して政権を利するもの」などと批判される。
かれらはそもそも自分たちは勝てないと踏んでいた。「勝つ可能性はほぼゼロだが、人々を啓蒙することには意味がある」という発言も飛び出す。「声をあげても無駄」というあきらめ、旧態依然とした運動―。そんな逆境にも負けずに主人公は「やり方次第では勝てる」と、広告のPR手法を活用した、従来の常識を覆す戦略に打って出る。「現政権がいかに酷いか」を訴えるより、人々の笑顔とユーモアに満ちたポップな映像を通じて「未来への希望」をうたい上げたのだ。わかりやすいメロディラインのCMソングやカラフルなシンボルマークなど現在から見れば珍しくもない手法だが、当時のチりでは斬新なアイディアだったのだろう。当初、味方からも反発を受けたキャンペーンは次第に人々の心をとらえていく。「CM放送など誰も見ない」と高をくくっていた「YES」陣営も似たような映像を使い始める場面が笑いを誘う。「NO」陣営にはさまざまな脅しがかけられるが、勢いは止まらない。結果は、「YES」44%、「NO」56%で、「NO」陣営の勝利に終わる。
あきらめの空気にとらわれていたサイレントマジョリティが「ノー・モア・ピノチェト!」の声を挙げ始める過程がドキュメンタリー風に語られていく本作。88年当時の臨場感を出すために、あえてその時代の撮影機材を使用し、当時の映像も挿入するなど監督のこだわりが随所に垣間見えた。
このキャンペーン手法が正しかったのかについてはさまざまな見解があるかもしれないが、時代の空気をつかんだことは確かだと思う。結局ピノチェトはこの国民投票で敗北し、その後、チリを追われることになる。実際は広告キャンペーンだけで勝ったのではなく、地道な運動あってこその勝利であり、その後もチリの政治の紆余曲折は続くのだが、それらの事実を踏まえてもなお、この映画で描かれている運動のあり方は多くの示唆に富んでいる。と同時に、政治宣伝の怖さも実感できた。(相)
Unknown
こんにちは。
私も観ました。面白かったです。隣のおじさんが泣いていました。ただ、実際の映像が混ざっていてリアルと思う反面、本当の現実はどうだったのという気にもなりました。でもエンターテイメントと謳っているのでそれは気にしすぎかもしれません。
また、面白い映画があれば紹介してください。