120日間の平壌滞在を終えて
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120日間の平壌駐在を終え、昨日からイオ編集部の通常業務に戻っています。
4ヶ月、社会制度に始まり、仕事の進め方や取材対象、ライフスタイル、食生活に至るまで、もろもろの環境が日本でのそれとは大きく異なる中で生活していたため、今こうして東京にいるのがなんだか不思議です。心にぽっかりと穴が空いたような気がしている反面、フォローできていなかった日本における諸問題に向き合わなければ、と襟を正される思いでもあります。
発つ前日まで取材や執筆、諸仕事でバタバタしていたため、最後まで日本に戻るという実感が湧かないまま、平壌を後にしました。この間、父と娘のように過ごし、多くの愛情を注いでくれたガイドのYさんとは、涙ではなく、笑顔で再会を約束することができてよかったです。
ずっと目標にしていた朝鮮での記者活動でしたが、終えてみて、これが始まりに過ぎないと感じています。4ヶ月という期間は決して短くはありません。4ヶ月をかけて、知ったことはもちろんたくさんありますが、それ以上に、知らないことがたくさんあるということを実感させられました。
工場や学校、農場、病院、市場、デパート、様々なレジャー施設、障がい者の施設などなど、たくさんの場所へ行ってたくさんの人と出会いましたが、本当の意味での人々の暮らしにはまだまだ距離があります。
私が朝鮮に滞在していた期間は、5月のストックホルム合意をはじめ、日本による対朝鮮制裁の一部解除など、朝・日関係に具体的な動きのある時期でもありました。その流れに関連する、いくつかの取材にも恵まれました。人的往来に関しては、現在、制裁により8年間朝鮮への渡航が閉ざされていた、総聯の最高人民会議代議員らが訪朝中ですし、この間、100人以上の日本人が朝鮮を訪れました。私自身も日本に戻ってくる際、成田空港でトランクを開けられ、二三質問はされましたが、持ち帰ったものを取り上げられることはありませんでした(当然のことですが)。確実に良い風が吹いていることを実感できます。秋ごろに発表される特別調査委員会の第一回調査報告を受け、朝・日間が進展するのか否か、注目が集まります。
一方で、今年初めから朝鮮は南朝鮮に対し、再三対話を呼びかけてきましたが、決裂したまま、仁川アジア大会は開幕を迎えようとしています。
朝鮮代表の先発隊が平壌から仁川に向かう日、私も飛行場で見送りましたが、ある人は、初めて南の地を踏むことについて、喜びや感慨よりも「緊張する」と言っていました。北側が提案した応援団を送ることは叶いませんでしたが、約270人の朝鮮代表団の訪問により、北南間に少しでも緊張緩和の風穴が空くことを祈るばかりです。
朝鮮半島を取り巻くさまざまな事象に「本国」で直接携わることができたことは、在日朝鮮人として大きな喜びでした。その機会を与えてくれた周囲に、本当に感謝しています。新しい目標もできました。
ブログでは今後も折に触れて、平壌での四方山話を綴っていきたいと思います。(淑)