歴博、女子会、結婚式…
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ここ数日は印象深い、出来事が続いた。365日、同じ一日などないのだが…。
12日、千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館へ。故・琴秉洞先生から一度行ってみなさいと勧められ、何年たっただろうか。お目当ての近代と現代の展示室へ。植民地時代に日本人がつくった朝鮮の観光本や朝鮮米の宣伝ポスターなど、朝鮮がさまざまに奪われたことが数々の展示から見てとれた。この間、当館は関東大震災の朝鮮人虐殺や近現代史の展示が攻撃の的となり、表現こそ後退したが、日本の歴史を主体的に伝える場として、ぜひ頑張ってほしいと思う。
コーナーの一角には、祖国解放後の朝鮮人社会を映した大阪・建国学校のフィルムもあった。1946年から48年の間に撮られたもので、建国学校と朝鮮中学校がともに運動会を楽しむ映像に目を見張る。貴重な映像に、在日朝鮮人の歴史や現在が一目でわかる博物館があれば、との思いがよぎる。
14日までだった国際企画展「文字がつなぐ-古代の日本列島と朝鮮半島―」にも足をのばした。中国→朝鮮半島→日本と文字が伝わる過程で、朝鮮は金属活字、日本はひらがな、などそれぞれが独自の発展を遂げてきた「違い」が興味深かった。
13日、「怒れる女子会」へ。
投票率が低い自民大勝の意味なし選挙とシラケていたが、ご近所の友人が、「一票を諦めないで」と話し合う場にはどんな人が集まるのだろうと、足を運んでみた。
保育園や学童に入れない、税金が高くなるばかり、と、政治に目が向く動機はそれぞれだったが、一番強烈だったのは、「あまりに腹が立つので、区議選に出ることにしました!」と話す元気な女性。それも身重の体で(!)。一票を持たない私だったが、共感できることはたくさん。女子が怒らなくてもいい時まで、この会は続けられるそうだ。
14日。チョン・テセ選手の結婚式へ。3ヵ月になる愛息を抱っこしての入場だった。川崎フロンターレ時代には、等々力に足を運ぶたび、息子をよく抱っこしてもらった。その後、ドイツ、現在は韓国で活躍するテセ選手。いずれは日本に帰ってくるというから、今から楽しみだ。
式は伴侶に贈るテセ選手の手紙で締めくくられた。故郷の地でいわれのない攻撃を受けたことにも触れられ、この間の心労を想う。統一列車の歌が流れるなか、輪の先頭に立っていたのはリ・チュンソン選手。親友やサッカー仲間に囲まれる息子を見ながら、「これがテセの夢だったのよ」と涙をぬぐうオモニムの姿に、こちらももらい泣き。
15日。東京朝鮮高級学校、帝京大学を経て、ラグビーのトップリーグで活躍するラガーマンを取材に府中へ。今年は朝鮮学校のインターハイ参加から20年を迎える年だったが、日本の公式試合で堂々と闘い、実力を認められている後輩の姿は誇らしく、たくさんの元気をいただいた。
2014年も残すところ15日。(瑛)