2015無償化裁判~東京からスタート!
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1月14日、東京朝鮮中高級学校の62人の生徒が原告となった「無償化」裁判の第4回口頭弁論が東京地裁で行われました。約200人が傍聴券を求めて列をなしました。
今までの裁判を振り返ると、第1回口頭弁論(4月2日)では原告の朝高生が意見陳述をし、第2回(7月2日)では双方の準備書面の確認、第3回では国側の書面に対する反論、今回は被告・国側から第2準備書面と証拠が提出されました。
この裁判で原告の朝鮮高校生たちが主張しているのは、主に4点です。
①就学支援金の受給権は生徒にある
②省令(ハ)の削除は、高校無償化法の趣旨を逸脱し、違法である
③(ハ)の削除は政治的理由による
④東京朝鮮中高級学校は指定の基準を満たしている
この日、国は59ページにわたる書面をもって反論しましたが、朝鮮高校生が就学支援金を受給する権利者である視点は皆無、最初に決めたルールを捻じ曲げる、まさに大阪の橋本市長が朝鮮学校へ補助金を止めるために押し付けた「4つのルール」を彷彿とさせるものでした。
国の反論は次の通りです。
1.省令(ハ)の削除は違法ではない
国は、①朝鮮高級学校については規定(ハ)の該当性を審査する過程において、審査に限界があることが明らかになった、②(ハ)による指定を受ける外国人学校は存在しないことになった―と主張、あげくの果てには、朝高が(イ)(ロ)によって指定を受けることも可能である、と乱暴に突き放しました。
おさらいをすると、外国人学校が就学支援金を受給するには、各種学校の認可とともに、3つの基準に沿った指定を受ける必要があります。
(イ)とは、外国の学校と同様の課程―つまり海外校の位置づけであり、韓国学校、中華学校、ドイツ学校などが該当します。(ロ)はインターナショナルスクールで、米国などの評価機関の認定が必要です。また政府は(イ)(ロ)とは別に、(ハ)―「高等学校の課程に類する課程を置くものと認められるものとして、文科大臣が認めたもの」の規定を設けました。
現にホライゾンジャパンインターナショナルスクール、コリア国際学園が(ハ)として認められており、今後も同様の外国人学校が生まれる可能性がある。しかし、国は朝鮮高校を除きたい一心でこの規定をはずしたことを、「違法ではない」と暴論を展開したのです。法律も何もあったもんじゃありません。
2.検討会議や審査会の議論は、朝鮮高校を認めるためのものではない
2010年4月に無償化法がスタートした後、4月30日には31の外国人学校が指定されたものの、朝鮮高校への適用は先延ばしにされました。
国は5月に検討会議を発足させ、検討するとし、8月末に発表した報告書では、「外交上の配慮によって判断するのではなく、教育上の観点から客観的に判断する」と結論を出しました。しかし、今回国は、検討会議は「規定の制定について議論する場であって、朝鮮高級学校の指定に向けて議論がなされたわけではない」「審査会の意見によって文部科学大臣の判断が直ちに左右されることはない」と言ってのけました。
3.総聯や朝鮮と関係があることが問題だ
国は、朝鮮学校が朝鮮民主主義人民共和国や総聯と関係があることについて問題視し、公安調査庁や同庁長官の発言をもって、「適正な運営がされていないと疑われる事情があると認められる」と、「疑い」をもって「不当な支配」があると主張しました。
東京の韓国学校も韓国や民団との関係がありますが、(イ)の認定を受けた韓国学校の場合は、「指定用件においては法令に基づく適正な学校運営が認められていない」と反論しました。(ハ)が適正運営を求められるなら、すでに(ハ)で認定を受けた2つの学校はどうなるのでしょうか。(イ)(ロ)はまったく問題にしないというのも、公平性に欠けます。
また、国は、「疑い」の根拠として、東京都が作成した調査報告書を参考資料にあげていますが、都の報告書は、そもそも補助金をストップさせようとする悪意に満ちたもので、民族教育を積極的に支援しようというものではまったくない。「国が証拠としてあげるものなのか?」と目を疑いました。
国の反論からは、朝鮮高校を排除するためには、過去もねじまげ、法律も何とでも解釈するという姿勢が見て取れました。論戦はこれからです。
最後、裁判所からは、国側の弁護団に、「朝鮮高校を仮に指定しなかったとしても、朝高生個人に権利の侵害はない、と主張しますか?」という趣旨の質問がありました。また、就学支援金がどのような制度なのかを説明してほしいという宿題も出されました。
今後は、国が朝高を不指定にした「違法性」とともに、「無償化制度が生徒一人ひとりの学ぶ権利を保障するものかどうか」という点にも戦線が広がっていく、とは喜田村弁護団長の展望です。
国籍、民族、学校を問わず、「すべての子ども」の学びを支援するというのが高校無償化法を本来の目的です。なのに、朝鮮学校だけが、「適切な運営」を問題視され、民族団体との関係を問題視されている。5年間も就学支援金を受けられずにいる状態を、法の元来の目的から照らし合わせて考えようという意思が裁判所の質問から感じられました。
次回裁判は3月18日、11時半から、東京地裁103号法廷で開かれます。
2014年2月17日に始まった東京の無償化裁判ですが、第5回口頭弁論を前に原告の高校3年生は卒業していきます。
閉廷後、弁護士会館で行われた報告会には、毎度のように立ち見が出るほどの人が集まりました。
いつもより、「涙」の多い会でした。
「無償化」実現を果たせぬまま、3月に卒業する高3の女生徒、文科省前の「金曜行動」で後輩を見守る九州出身の朝大生、また、「無償化」排除が始まった5年前に朝高を卒業し、母校の教員として戻ってきた青年、かれを教えた中堅教師が発言し、5年間の裁判闘争が走馬灯のようによぎっていきました。後輩たちの姿は、ただただ立派でした。
最後に原告保護者のオモニが、5年間を振り返りながら発言をされました。
悲しみと絶望の中でも、希望をつむぎあげた、素晴らしいスピーチでした。
その一部をご紹介します。
…この5年間、私たちを取り巻く環境は大きく変化してきたように思われます。
聞くに堪えないヘイトスピーチが公然と現れるようになり、政治家はそれをいさめるどころか、過去を否定する傍若無人な発言を繰り返しています。
ヘイトスピーチと「無償化」排除は本質は同じです。どちらも在日朝鮮人の存在を否定し、存在を踏みにじっています。
そこには、思いやりのかけらもなく、蔑みや偏見をあおり、社会に排他的な空気を拡大させています。
しかし私は、攻撃的なヘイトスピーチのおそろしさ以上に、「無償化」除外問題が深刻であると考えるのです。もし、この国の政府がどんな差別も許さず、この国のすべての子どもを守るという意志があって、子どもたちがそれを実感できるようになれば、少々の暴言に脅えることはない。そもそも、そのような国であれば、ヘイトスピーチが公然と叫ばれるような社会にはなっていないのではないのでしょうか。しかし、残念ながらこの国の政府は、子どもたちを政治的に排除するという政策を実施することで差別を認め、差別を蔓延させる役割を果たしてしまった。
子どもが犠牲になることを、いとわない、恥じない―。
私は何よりもそのことが許せません。
「平等」を訴えなければならない「子どもの悲しみ」を想像できない情けない大人が政治をしているのです。
昨年12月、京都でヘイトスピーチの違法性を認めた司法判断が確定しました。
「無償化」運動は、ゆがみつつある社会を変える運動です。
勇気を持って原告となった生徒たちには、この裁判を通して社会を変えることができるということ、自分の運命を切り開くことを学び、これからの人生のゆるぎない自信につなげてほしいのです。
…朝鮮学校で、懸命に学び、成長している子どもたちに、どうか寄り添い続けてください。
私たちオモニも、最後まで闘いぬきたいと思います。(瑛)
在特会の全面敗訴
ブログにも有った様に、昨年12月10日、京都朝鮮学校が在特会を訴えていた民事裁判にて、在特会が敗訴となりました。この事は既に皆、ご存知の事と思います。一審の段階で在特会は完全敗訴をしており、二審では、在特会の言い分は殆ど相手にされませんでした。最高裁では、門前払いの負け方です。この事について、「日刊イオ」誌に誰も書かないのはどうしてなのか?と思ってしまいます。在特会と右翼共を皆で叩き出しましょう。