「平和の少女像」ができるまで
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政治的に問題があるなどとして、美術館や冊子などから展示・掲載を拒否された作品を集めた「表現の不自由展~消されたものたち」が、練馬区江古田の「ギャラリー古藤」で絶賛開催中です。会期中は作品を出展した作家をはじめとする、様々なゲストを招いたトークショーが行われています。来場者とともに学び、考えたいという主催者の意図が込められています。
私は18日の初日、韓国の日本大使館前に設置されている「平和の少女像」を制作した彫刻家である、キム・ソギョン、キム・ウンソンご夫妻のトークショーに足を運びました。お二人は学生時代、軍事独裁政権に抵抗する民主化運動に参加し、現在に至るまで彫刻の制作を通じて社会問題に取り組んできました。
ご存知の通り「平和の少女像」は2011年12月、日本軍性奴隷制度被害女性たちによる水曜デモが1000回を迎えたのを記念して、韓国の日本大使館前に設置されました。日本軍「慰安婦」問題を象徴するイメージとして、韓国ではたくさんの人々に愛されています。トークショーでは映像作品も流され、正月はチマチョゴリ、寒い冬には帽子にマフラーをまとった少女像など、少女像と人々が共に過ごした四季折々の日々が映しだされました。
現在、少女像は韓国とアメリカの11ヵ所に設置され、そのデザインは各地の市民らの要望にそって4通りほどあるそう。広告や演劇、本、ミュージカルなど、多くの文化芸術活動にモチーフとして使用され、様々に表現されています。
しかし日本政府は、「外交公館の尊厳が傷つけられ、日韓関係にも悪影響が及ぶ」として大使館前からの撤去を求めています。これを背景に、日本では少女像が度々批判の対象となり、インターネット上ではそのイメージが悪意をもって汚されています。
今回展示されたのは、大使館前に設置されているブロンズ像のレプリカで、彩色された等身大の像と、縮小したブロンズ像の2体。このブロンズ像は、2012年8月に東京都美術館で開催された「第18回JAALA国際交流展」に出品されましたが、特定の政治・宗教に関連し、運営要綱に抵触するという理由で、撤去されました。
そんな中、製作者であるキム・ソギョン、キム・ウンソンご夫妻が、これまでどんな創作活動をされてきて、どんな思いで少女像をつくったのか、中々聞くことのできない貴重なお話を聞くことができました。
ウンソンさんは1991年、金学順ハルモニの勇気ある告白に衝撃と深い悲しみ、憤りを感じたといいます。2011年水曜デモが1000回を迎えることを知って、「自分にも何かできないか」と、韓国挺身隊問題対策協議会に申し出たそうです。
ご夫妻で20種類ほどアイデアを出し合い、最終的にソギョンさんが提案したものに決まり、制作もソギョンさんが手がけました。ウンソンさんは、「かつて『慰安婦』とさせられた少女たちは、男性によって性暴力を受けた。女性の手によって作られたほうがより意味があると解釈した」と話していました。
ソギョンさんは「『慰安婦』とされたのが、もしも私だったら…、私の娘だったら…と想像しながら制作しました」といいます。制作においてもっとも重視したのは、ハルモニたちの過去と痛みを凝縮し表現し、より多くの人と分かち合うことのできるものとすることだったそうです。
少女は静かに椅子に座り、まっすぐ前を見つめています。
元々はそっと両手を重ねた形だった少女の手は、日本政府に謝罪と賠償を求めるハルモニたちの意志を込めて、固く握りしめられました。少女は素足で、よく見るとかかとが宙に浮いています。これは、ハルモニたちの過酷な歴史と、故郷に戻った後も厳しい環境に置かれたことを表しています。肩に乗せられた、自由と平和の象徴である小鳥は、亡くなったハルモニたちとご存命のハルモニたちとつなぐもの。また、地面にはハルモニの影が映し出されており、これはご夫妻の娘さんの提案だそうです。影の周りを飛ぶちょうちょには、亡くなったハルモニたちと心を共にするという意味が込められています。
初めて見た少女像は、なんだか人の気配というか、人間らしさを感じました。表情は笑うでも悲しむでもなく、ましてや怒ってもいない。穏やかで毅然としています。空席となっている椅子には「あなたはどう向き合うの?」と静かに問われているようでした。その問いかけ方や寄り添い方にも、とても共感を覚えます。
展示は2月1日まで。ぜひ足を運び、少女の隣りに座って共に考えてみてください。(淑)