人の縁とは不思議なもので
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3月29日から4月1日まで3泊4日の日程で北海道へ出張してきた。
最後に北海道の地を踏んだのは2010年の9月だったので、ほぼ4年半ぶりの訪問となった。ちなみに、前回は1泊2日の弾丸取材ツアー、今回も実質は2泊3日のスケジュールだったので、まとまった期間の滞在というわけではなかったが。
今回の出張は、胆振日高地方に住む同胞たちを取材するのが主な目的だった。
仕事では2回目の訪問だが、プライベートに関して言えば、自分は北海道には浅からぬ縁がある。母方の祖父母が函館で暮らしていたので、小学校から高校までは毎年のように夏休みの期間中、祖父母宅へ遊びに訪れていた。幼い頃は祖父に連れられプールで遊んだり、総聯支部の事務所で開かれていた夏季学校に通ったり、札幌で行われた全道的な「8・15」(祖国解放記念日)の野遊会に参加したり…。なにぶん20~30年前のことなので、記憶も薄れかかってきている。
その後、祖父は私が大学1年の頃に亡くなり、祖母も2000年、息子たちの住む朝鮮に帰国し、翌年にこの世を去った。
祖父母のみならず、母方の親せきの多くが東北、北海道と移り住んだ。したがって、かの地には私の祖父母や母、親せきたちと縁のある人々も少なくない。今回の取材先の苫小牧でも、母の幼馴染みの同胞夫婦と会うことができた。母とその同胞男性は幼い頃、東北の某県の同胞コミュニティの中で家族同然に育ったのだという。貧しかった時代、家族ぐるみで助け合いながら暮らしてきた関係はそう簡単に途切れるものではなく、その後、祖父母が北海道に移り住んでからも両家族の付き合いは続いた。今ではほとんど記憶に残っていないのだが、幼い頃に北海道の祖父母宅へ遊びに行った際は私もだいぶかわいがってもらったのだという。今回、その同胞男性が夫婦で営む苫小牧市内の飲食店を訪れ、取材のかたわら、朝鮮に帰国した母の兄や弟(私にとっては叔父/伯父)との思い出話なども聞くことができた。初めて訪れる土地で、不安も少なからずあったが、あたたかく迎えてくれたことがうれしかった。
まあ今回の話は、一言で「在日同胞社会は狭い」と済ますこともできるのだが、血のつながらない他人同士でも、異国の地で苦しい時代をともに生き抜いてきた人々の間で単なる近所づきあいを超えた濃密な関係性があったことは確かだ。それは、在日朝鮮人が歩んできた歴史に起因するものでもあるのだろう。
人の縁というのは不思議なもので、どこでつながるかわからない。日本全国を回りながら、さまざまな、時に思いがけない縁と出会う―記者をやっていてよかったと思う瞬間でもある。(相)