クァンホの連載を読んで
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朝鮮新報の連載「ダウン症のわが子と民族教育」。あまりにも親しみのある顔が紙面に大きく載っているので、見るたびに毎回不思議な感じがする。
高校1年生のとき、私はクァンホと同じ1組だった。初対面の子といきなりクラスメイトになるという、希望なんかより不安でいっぱいの入学式当日。クァンホはあの愛くるしい笑顔で話しをかけてきて、私は「なんて人見知りをしない子なんだろう!」と思ったのを覚えている。
あの明るさ、愛嬌、素直さ、そして周囲への思いやりは、周りを引き付ける要因、誰もが認めるクァンホの魅力だと思う。とにかく私に無いものをたくさん持っていて、尊敬できるクラスメイトだった。
連載は途中まで、クァンホが高校に入学する前の話だ。4月27日の新報に掲載された朴龍浩先生のエッセイにもあるように、入学前にいろんな葛藤があったということを知ることができた。そうして改めて高校時代のクァンホを思い返すと、うまく説明できないが、とにかく色々考えさせられる。
1年1組はクァンホなしには考えられなかった。それは学年が上がってクラスが変わっても同じだ。同級生たちがどれだけたくさんのパワーを貰ったことか。本当に朝高に来てくれてよかったと思う。
朴龍浩先生のエッセイを読んでとても懐かしかったのが、1年1組が1年間を振り返って作ったピョッポ(壁新聞)の話だ。かなりインパクトのある出だしで、私もはっきり覚えていた。あまりにも懐かし過ぎたので家に帰って本棚をあさると、1組の文集に無事載っていた。
「私たちは決して秀でていなかった。一番と言えるものは逆に少なかった。でも…
私たちは積み上げた数字よりも、その過程で育んだ私たちの心を大切にしたい。…」(S)
ブログを読んで
Sさんのブログを読みました。私の亡弟も生まれつき体が悪く、13歳で亡くなりました。今回のSさんのブログのクァンホさんはダウン症とのことですが、障碍者の方たちには、皆で思う存分、溢れるほど愛情をかけて接してあげればよいではないですか。世の中、身体障碍者、精神障碍者、知的障碍者の方たちはたくさん居ます。健常者の皆さんで、そういう方達に、親切に親切にしてあげればよいのです。私だったらそうします。亡弟の分まで。
Unknown
コメントありがとうございます。
私も常にそうありたいと思います。